平田 圭吾のページ

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『IMF(国際通貨基金) - 使命と誤算』 (中公新書) を読んで

陰謀論、特にユダヤが絡むとよく目にする悪の巨大組織、その名も「IMF」。
アメリカのCIA、ロシアのKGBに次ぐ陰謀の府であるという噂は絶えない……(笑)
まあ、正直なところ、私は面白い(笑)話としてか、そういった陰謀論を聞くことはできないのだけど、「火のない所に煙は立たない」とも言うし、実際にはどうなのかということで読んでみた。

この本自体は、かなり難しい部類に入ると思う。というのも、投資や投機関係の横文字や英字がたくさんあるからだ。難しいというよりは不親切と言ったほうが適切かもしれない。一般読者向けとは言えないが、ネットで語句検索したり、前のページに戻ることを繰り返せば、読めないことはないと思う。
しかし、金融の常識が変わるのはかなり早く、8年前のこの本では既に古い情報も多くあるだろうから、そういった意味ではおすすめできない。とはいうものの、2009年までのIMFの歴史は、批判的にではあるが、うまくまとめられている。直近の情報がどうしても知りたいということでないならば、この本を読むといいと思う。

IMFの基本情報

また、最近は、世界的に景気が堅調であることもあり、めっきりIMFの名をニュースで目にすることもなくなった。なぜなら、この本にも書かれているが、IMFは国家破綻を防ぐための最終貸出機関という位置づけであるからだ。だから、IMFが活躍するのは、残念だが、深刻な経済危機が起こっている時である。


正式名称は、International Monetary Fund、ということで国際通貨基金
設立は、アメリカ主導で第二次大戦直後に行われており、この影響と出資比率の関係もあって、アメリカに単独拒否権がある。この当時の出資比率の二位は日本。
構成員は、出資比率に応じて各国からエコノミストが参加しているということらしいが、詳しい職員の構成については書かれていなかったので、正確な所はよくわからない。

 

IMFが怪しまれるのはなぜか

ここから、IMFが怪しまれる原因に絞って話を進めようと思う。また、ここから下は、この本から直接読み取れることでなく、私が読み取って導き出した一種の答えである。

 

IMFは第二次大戦の教訓を理念としている

それでまず、上の概略でも分かるように、そもそもIMFは、第二次大戦の教訓を活かすことを目的として設立された。
このため、IMFは、「ブロック経済保護貿易)」と「積極財政」に少なからぬ反感を持っている。なぜなら、第二次大戦に突入した主な経済的理由は、イギリスやフランスが植民地と行ったブロック経済、またドイツが際限なしの国債発行で行った積極財政にあったからだ。
だからこそ、IMFは、その設立使命として、自由経済と消極財政(緊縮政策)を推進しようとする。しかし、この姿勢は、現在の経済情勢に合っておらず、アジア通貨危機IMFが出てきた際にも、また、ラテンアメリカIMFが出たときにも、ソ連が崩壊してIMFがしゃしゃり出たときにも、はっきり言って裏目に出てしまった。

 

IMF融資に至る典型的なパターン

しかも、その途上国に資金を融資する定式パターンが、
1.自由経済推し進めるために、固定相場で規制緩和を推進
2.規制緩和するということは、外国からの資金が途上国に流入する
3.過剰な資金が流入すれば、その国の経済は過熱(バブル)化する
4.過熱(バブル)化でその国の通貨が実質安(お金の価値が下がる、体感で言うと、日本でもバブルの時は二束三文の土地が数億円とかで取引された)となっていく(マクロ的に見ても通貨が増えれば通貨の価値は下がる)
5.通貨が実質安となると、損切りのために、ここぞとばかりの資金の急激な引き上げが起こる
6.急激な資金の引き上げで、固定相場の為替維持が困難になり為替自由化
7.その国では資金の引き上げで資本が枯渇する上に、急激な為替安で輸入品が割高になる
8.モノが全般的に高くなって(急激なインフレとなって)、経済が低迷する上に、外貨準備高も無くなる
9.IMFが外貨を貸し出し、通貨安の歯止めをかけようとする
10.しかしIMFは、貸出の担保として緊縮財政(消極財政)を押し付ける
11.その国では資金が枯渇して景気が悪いのに、緊縮財政でさらに資金が市場に出回らなくなり、当然のように景気はさらに悪化する
12.それでもIMFは節約やリストラなどコストカット、また資産売却を押し迫り、猛烈な取り立てをする
という感じなのだ。

 

IMFの正体

良心的に見れば、さきほどから言っているように、自由経済・緊縮財政という第二次大戦の教訓を最大限活かしているのである。
しかし、これを実質面だけで見ると、先進国の余剰資金を途上国に投入して、この余剰資金を株ころがしで増やし、さんざん株ころがしでうまい汁だけ吸っておいてから、いざ返せないとなったら、猛烈な取り立てを行っているということになる。どうしようもないクズだ。

理念は「第二次大戦の教訓」であるが、実際には「ハゲタカ資本主義」、これがIMFの正体と言える。だから、この実際のほうを見て、多くの人はIMFを悪の組織と言うのだろう。しかし、上にも述べてきたように、組織的に悪いことをしようとして悪いことをしているわけではない。理念を優先して組織の方針や体質を変えないから、悪い結果が出てしまうのだ。

 

ユダヤ人とは関係ない

もちろん、単独拒否権を持つアメリカの意向も、悪い方向に事を動かすだろうし、基本的に、株ころがしをする人間にロクな人はいない。自分さえ儲かればいい人は、想像力がないから、自分だけが儲かれば他の人が生活苦になろうがおかまい無しなのだ。こういった人間が、アメリカを通じて、IMFに影響力を及ぼしている可能性はあろうだろう。また、こういった人間が全てユダヤ人だと決めつけるのが陰謀論だろうと思う。しかし、これは日本人でも、ドイツ人でも、中国人でも、どの国の人でも同じである。多くの金を持った人は、その金を失うことを一番恐れ、それがたとえ余剰金であったとしても、一文たりとも損をしないようにすることしか考えないのだ。

 

人間がそもそも悪だからIMFも悪となる

結局、IMFが悪の組織であるかもしれないことは否定はできないが、それは人間がそもそも悪であること、特にカネのことが絡むと極悪となることが原因なのである。また、経済に詳しい人というのも、基本的にはカネが好きな人が多い。自分は人々のために経済を勉強しているんだという奇特な人も多いだろうが、いざ自分の財産がどうにかなるということになれば、すぐその理念とは反対の行動をするだろう。「自分のカネは正義のカネだから一文たりとも損しないが、おまえらの悪のカネは困っている人に施さなければならない」と。

このような意味で、IMFという、どこの国家にも帰属しない宙ぶらりんな立ち位置にある「巨額のカネの集まる場所」に、「カネのためならなんでもする人物が集まる」ことは自然の理というものだ。個人的には、会社経営者にしろ、銀行頭取にせよ、IMF関係者にしろ、もちろん政治家もだが、責任を持たせるために厳罰が必要と思う。誰も罰を与えないから、自分のことしか考えないし、結局自分第一で考える。

 

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『日本近代史』 (ちくま新書) を読んで

新書にしてはかなり分厚く、普通のほぼ倍の450pの力作。
著者の方は、長年日本近代史を研究されてきた方で、この本を書き上げた時には75才。東大の名誉教授という肩書なのだが、この本を読むと、尋常ならざる研究を積んでこられたこと、またその名誉に相応しい方なのだとよく分かる。
言うまでもないが良著であり、450pという大著であるにもかかわらず、よくこの紙幅にこれだけのことを書き収めていただけたものだと思える本。

「詳しい」歴史観により書かれた本

それで、まずは恒例の歴史観についてなのだが、これはまさに、「長年研究を積まれた方」にしか持ち得ないものだと思った。つまり、とても「詳しい」のだ。

 

2017年の衆議院総選挙に例えると

その「詳しい」というのがどういうことか、なるべく分かりやすく説明すると、例えば、2017年の衆議院選は、自民党の大勝だった。これを遠くから見れば、「世界経済が堅調だったことと、アベノミクスで景気が回復したこと」により、自民党が大勝だったということになるだろう。百年後の日本人でもそう思うだろうし、海外の人も大多数はそう思っているだろうし、日本の中でもそういったことに疎い人はそのような理解に違いない。
なぜなら、このように理解するのが、ごく自然で、かつ非常に分かりやすいからだ。

しかし、実態は少し違う。投票日の台風という与党側を利する悪天候に加えて、与党自民党を利する小選挙区制と野党勢力の分裂が、今回の自民の大勝をもたらしたのだ。だから、景気の好調だけが自民党大勝の原因だというのは誤解である。

このように言えば、私の言いたい歴史観も理解していただけるのではないか。つまり、尊王攘夷派が決起したのが明治維新ではなく、原敬が初の平民宰相になったことが大正デモクラシーではなく、軍部がまるごと暴走したのが第2次大戦の勃発なのではない。実際はもっと複雑な因果関係があるのだ。

 

一般的解釈とは違うかも

この本の著述に沿って、この歴史観による日本の近代史を簡単に述べていく。もちろん、因果関係が詳しいというのがこの本の特色であるからには、要約されたここの記述を読んで「それは(一般的解釈とは)違う」と思われるような点は、きっと多いと思う。しかし、これは私の意見ではなく、この著者の尋常ならざる研究の結果導き出されたものであるからには、是非ともこの著書を読んでその「違う」というわだかまりを消していただきたい。

また、この本が書かれたのは、東日本大震災の直後ほどである。はっきりとは書かれていないが、民主党政権への期待と、その期待を裏切られた失望がいたる所に見える。さらに、熱烈な自民党支持者の方は、この本を読むと、自民党を批判されているようで嫌な思いをするかもしれないことも付け加えておきたい。

 

 

明治維新

第一章 改革 1857-1863 (公武合体)(~~)は一般的な歴史解釈
第二章 革命 1863-1871 (尊王倒幕)

この期間について一言で言えば、「西郷隆盛が主役」である。薩摩藩西郷隆盛の「合従連衡策」が明治維新を実質的に動かしていたとするのだ。西郷隆盛の好きな人は、非常に面白く読めると思う。
また、明治維新と言うと、「尊皇攘夷の志士たちが明治維新を達成した」と要約される。しかし、「尊皇」は分かるとして、「攘夷」とは、「外国を払いのける」という意味であり、明治維新の立役者となった薩摩藩がイギリスと通商していたことと矛盾する。これはおかしいとだいぶ前から疑問に思っていた。だが、この本には、その答えがあった。

つまり、明治維新は「尊皇攘夷VS佐幕開国」という二極の戦いでなく、尊皇・攘夷・佐幕・開国というそれぞれの思想が複雑に入り乱れた、複数勢力での戦いだったのだ。だから、「尊皇攘夷の志士」が必ずしも「維新の志士」ではないし、幕府内にも「体制内改革派」として、少なからぬ「維新の志士」がいたわけである。
それで、この複数勢力を結集したのが西郷隆盛であり、その具体的な策が「合従(藩の代表たる大名が連携)連衡(各藩下級武士同志での連携)」であったのである。この本の説明ならば、今まで疑問に思っていたことも非常に腑に落ちると納得できた。

 

明治時代

第三章 建設 1871-1880 (殖産興業)

この時代は、新しい支配体制をまさに建設する時期であったが、日本では「富国強兵」の殖産興業が推し進められたというのが一般的な理解である。基本的には、明治維新の功労者が日本の行く末を建設していったということで間違いないが、それだけの理解だと、政権を追われた西郷隆盛板垣退助などの主要人物に関して説明ができない。
そこでこの本では、「富国強兵」「公議輿論」という有名な語句によって、次の四つの派閥の動きとして、この時代を理解している。つまり、富国派・薩摩藩大久保利通、強兵派・西郷隆盛、公議(憲法)派・長州藩木戸孝允輿論(議会)派・土佐藩板垣退助という四派閥である。
経緯として、大久保と木戸は、岩倉使節団として海外を歴訪するのだが、その間に、西郷と板垣が征韓論を主張するようになり、結局、西郷は西南戦争を起こし、板垣は下野して自由民権運動を繰り広げていくことになる。
明治維新では、君子としか言いようのない活躍をした西郷隆盛であったが、西南戦争は実に愚の骨頂であった。西南戦争のために発行された不換紙幣(国債のようなもの)がその後の日本を長きに渡って苦しめるのだ。また、どうして西郷がそんな愚かになったかと言えば、一重に、自分に付き随う者だけと田舎にこもってしまったからだろうと思う。

当時は、通信の便もなかったのに、田舎にこもれば、情報は当然偏ったものしか入ってこない。しかも、西郷を慕う人は、一本義の通った軍人ばかりで、殖産興業と謳いながら実質商社と成り下がり、軍事をほっぽりだしてしまった明治政府には少なからぬ不満があったのだ。中央との連絡を断ち、このような不満分子の愚痴ばかり聞いていれば、いかに君子と言えど、その目も心も曇ってしまう。

この点は、実に明治政府の手落ちとして、残念に思うところである。後のファシズム台頭のところでも重要になってくるが、だいたい、不満分子のはけ口は敢えて残さなければ、不満勢力が結集して良からぬことをするのは自明の理なのだ。人手不足だったのかもしれないが、この点以外も含めて、この時代の明治政府は実に稚拙と思った。

 

第四章 運用 1880-1893 (明治立憲制)

この時代では明治憲法をどのようなものにするかが焦点となるが、立憲君主制井上毅ら藩閥元老勢力、拒否権型議員制度の板垣退助自由党勢力、議院内閣制の大隈重信福沢諭吉らの知識人勢力という、三つ巴で憲法が制定されていくことになる。
簡単に言えば、明治十四年の政変で大隈らが失脚し、立憲君主拒否権型議会の憲法が発布されることとなる。ここで古典として紹介されているのが、「明治憲法成立史」稲田正次著であるが、いつか読んでみたい。
それで、この後に、議会政治が行われるわけであるが、拒否権型の議会であるから、藩閥元老勢力ら行政・官僚の「超然主義」的立案を、議会がひたすら否定するという、ねじれ国会どころではない、何も決まらない政治が数年続いてしまう。あまりにも決まらないということで、これは天皇仲裁の元、和協の詔勅で議会の地位が上昇させ、一時的に問題が解決する。しかし、この打開案が産んだ結果は、現在の日本にも続く、「官民一体」「官僚と政治の癒着」であった。

 

大正

第五章 再編 1894-1924 (大正デモクラシー

この時代にも、基本的には、藩閥元老勢力(伊藤博文山縣有朋など)・自由党(政友会)勢力(星亨・原敬高橋是清など支持基盤は地方紳士)・進歩党(憲政会)勢力(大隈重信福沢諭吉など支持基盤は商工業者)という三つ巴の政局争いが、民衆の生活ともつながりながら、歴史を織り成していく。
この本には詳しく説明がなかったのだが、大日本帝国憲法において内閣の任命権は、完全に「密室」にあったようだ。つまり、天皇を中心とした藩閥元老勢力がその任命権を持っていたのである。しかし、世論や当時の勢力図を無視するわけにもいかず、藩閥元老勢力・官僚と、自由党勢力が結託し、内閣を順繰りで回すなど、実に不安定な政権運営をしている。今の日本で内閣が長続きしないのは、議会開設も間もないこのころからのことだったのかと、非常に納得できた。
また、大正デモクラシーの代名詞と認識されている初の平民宰相の原敬は、デモを警察力で鎮圧したり、唐突な解散総選挙を行うことで、普通選挙制の実施を引き伸ばしたり、二大政党制にならないように策略を巡らしたりしている。政局運営の手法が、まるで現在の自民党としか言いようがない。しかし、ただ一点、重要な所が違っていて、この当時、政友会は平和主義であった。アメリカ追従という意味では自民党と似ているが、対外政策は国際秩序重視で、帝国主義政策からの脱却を旨としていたのだ。しかし、敵対党勢力である憲政会が、有名な幣原外交で方針転換をすることにより、方針を変えてしまう。

 

昭和

第六章 危機 1924-1937 (昭和ファシズム

このころになると、二大政党制がやっと実現しだして、憲政会が政権を獲得し、普通選挙が実施された。しかし、幣原外交での方針転換を機に、政友会(積極経済・帝国主義的対外政策・強権的)、憲政会(消極経済・世界秩序重視の穏健対外政策・リベラル)という、どこかで見たような二大政党の構図となる。
また、この辺りから、政友会の方針転換で勢いづいた北一輝などが、ファッショ思想を広めていく。悪名高い治安維持法は、25年に施行されるが、ファッショを制限するものでなく、ロシア革命に刺激された社会主義勢力の実質活動を制限することであった。
さらに、藩閥元老勢力は、実質的に軍部と同義になっていくのだが、軍部も内部で、「統制派(穏健)」と「皇道派(急進)」に分裂していく。
憲政会内部、政友会内部にも、それぞれ二大派閥ができるなど、主要勢力は少なくとも10の小勢力へと「小きざみ」になる。
青年将校五・一五事件二・二六事件などの危機を乗り越えるために、挙国一致内閣なども設置されるが、危機が過ぎると、「小きざみ」な勢力が互いに反目するようになる。
こうして満州事変が起こり、崩壊の時代、大政翼賛会の時代に突入するわけだが、この崩壊の時代を描かずして、この本は獲麟を迎える。

 

個人的な感想や考察

私が思うに、崩壊の時代に突入してしまったのは、お互いがお互いを排斥し合い、お互いの利害を越えて調整できるような君子がいなかったことが原因であると思う。大局を見て、自身の利害や拘りに捕らわれず、当時の日本を調整できる君子が、それぞれの「小きざみ」な勢力で代表となり力を持っていれば、もう少しマシな歴史があったのかもしれない。また、社会主義運動を制限したのも問題であったと思う。そもそも、どの時代にも、過激な行動や過激思想でしか自分の不満を発散できない人は一定数出てくるのだ。だから、社会主義勢力を活かしていれば、そちらに過激な人が流れ、少なくとも、過激な人がファッショ思想に一極集中することもなかったであろう。

最近は、右翼VS左翼、リベラルVS改憲、というような、お互いがお互いを排斥する動きがいたるところにある。私から見ると、どちらも、「少しも相手に譲らない」という気構えにしか見えない。左翼が勝利しても、右翼が勝利しても、リベラルが勝利しても、改憲が勝利しても、日本の未来は暗いのではないか。

あと、中国との比較で、このころ、列強に翻弄され続けた中国に比べて、いかに日本が外交的に煩わされなかったかということも、非常に興味深かった。

 

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『金融政策入門』 (岩波新書) を読んで

入門というだけあって、金融について基礎から説いた本であるが、難しい部類に入る本と思う。

難しいが中立性の高い良著

日経新聞を隅々まで毎日読んでいるレベルの人か、あるいは大学で経済学部を出て学力を維持している人、事実国債などへの「投機」に身を投じている人でないと読みこなせないかもしれない。
私は上記のどれにも該当しないけど、ある程度他の本を読んでおり、それなりの知識があったので、なんとか読み切ることができた。

本の内容としては、アベノミクスが発効したばかりの当時に、アベノミクスの実態について解明する本である。筆致としてはかなり中立を維持しているため、余計に分かりにくい。というのも、金融や経済の理論は、相反するような理論が同時に成立することになっているからである。
だから、アベノミクス称賛でなく、かと言って、アベノミクスを卑下するわけでもなく、どっちなのか分からないという点で、あまり受け容れられない書き方と言える。しかし、普通に考えたら矛盾だらけで腑に落ちない理論が横行しているのが経済学や金融工学の世界であり、そのような前提の上でなら、これは間違いなく良著の部類に入るだろう。しかし、それでも、意味が分からなくてかなりイライラするであろうということだけは強調しておきたい。

 

アベノミクスとはどんなものだったのか

これで、この本の中立性については分かっていただけたものと思うが、その上で、アベノミクスはどうなのか、という話である。一言で言ってしまえば、この本が書かれた時、つまり四年前に、既に問題点はほぼ出ている。だから、「ほれ見ろ言わんこっちゃない」というのが現状であるとしか言いようがない。その中でも特に、最近耳にするようになった「アベノミクスの出口戦略」についてだが、正直なところ危機的状況にまで達しているものと思う。折しも選挙であるが、今回の選挙は自民党に譲って、自民党にしっかりとアベノミクスの尻拭いをさせたほうがいいとさえ思うほど、アベノミクスの後始末は大変な状況になることが予想される。

そのことを説明しようと思うのだが、恐るべき長さになると思うので、以下の記事については、覚悟して読んでいただきたい。

 

金融が難しいのは「流動性」と「流通量」があるから

まず、財政学を理解する上で重要なのは、「通貨としての流動性」について理解することである。
われわれは現金を使うのだが、現金だったら大体誰でも商品と取り替えてくれる。しかし、国債は現金より「流動性が低い」ために、誰もが商品と取り替えてくれるわけではない。これが通貨としての流動性である。

次に、お金にも量がある。例えば、おはじきで子どもたちが遊んでいて、その子どもたちのグループには、おはじきが全部で10個しかなかったとする。こういった場合に、おはじき遊びはあまり流行らないのは言うまでもないだろう。おはじきが10個しかなければ、誰か一人が飛び抜けてうまければ、この子が10個全部を独占してしまう可能性があるからだ。しかし、おはじきがそのグループに100個くらいあれば、おはじき遊びもかなり活発になる可能性がある。
これと同じ理論で、最も流動性の高い「日本銀行券(現金)」が「金融市場」にたくさんあれば、「経済」も活発化するだろう。というのがアベノミクスマネタリスト、リフレ派)の理論である。だから、流動性の低い国債を日銀が買受け、その代わりに日本銀行券(現金)を増やす、つまり通貨の流通量を増やすということなのだ。

 

流動性を高め流通量を増やすのがアベノミクスだが

しかし、これは少し考えればわかることで、因果関係があやふやな理論である。というのも、子どもたちがおはじき遊びに飽きてしまえば、いくらおはじきがたくさんあったところで、おはじき遊びは流行らないからだ。経済に当てはめれば、銀行に行けばいくらでもお金を貸してもらえると言って、必ずお金を借りる人が増えて経済が活発になる、というわけではない。

しかし、これを「異次元の金融緩和」と言ってゴリ押ししているのがアベノミクスなのだ。だが、これをおはじきで言えば、「異次元のおはじきの大人買い」をしているだけであって、かっこよく聞こえるだけで実のないこととも言える。

これでアベノミクスの概要は分かっていただけたものと思う。次に、どうして出口戦略が必要なのかということについて説明したい。

日銀はおはじきを増やすべく、国債大人買いしてきたわけであるが、その額は、既に400兆円ほどにもなっている。日本が発行した国債は、日銀が40%ほども所有しているのだ。もっと言うと、国債を発行した時に、国債を買っているのはもはや日銀くらいしかないのである。
この時点で、ほとんどの人は意味が分からなくなると思うけど、これは自分の借金(国債)を自分で引き受けている(日銀)と言っても過言ではない。予算編成における歳出で歳入から足らない部分は、「日銀が大半を持っていても、日本はいつか返してくれる」という「信頼感」のみで成り立っているのだ。

 

いくらおかしくてもみんな良ければそれでいいのが金融

しかし、どう考えてもこの時点でおかしい。自分の借金を自分で引き受けるとはどういったことか?正直私も意味が分からない。だが、ここが不思議なところで、多くの人が「これでもいい、なんとかなる」とさえ思っていれば、この不条理も成り立ってしまうのが現在の財政なのだ。
とは言うものの、もちろん限界もある。多くの人が「これはおかしい、日本は信用できない」となると、戦前のドイツのように、ハイパーインフレや、恐慌(デプレッション)に陥ってしまう。どんな悲劇が待ち受けているかは言うまでもない。
それで、このラインがどこか誰にも分かっていないというのも恐ろしい話なのだ。このまま、日銀がおはじきの大人買いを続けて、全部の国債を日銀が引き受けても、何も起きない可能性はあるし、逆に、明日にでもデプレッション・恐慌が起きる可能性もある。

 

アベノミクスの出口戦略の難しさ

このように説明すれば、誰もが「おはじきの大人買いはやめようよ、そんなことしていると破産しちゃうよ。やめようよ」と言いたくなると思う。私もそう思う。しかし、ここがさらに難しい所で、おはじきの大人買いをやめてしまうと、今度は、みんながおはじきをどんな安値でも売ろうとしてしまうのだ。おはじきは買う人がいるから値が上がるのであって、おはじきを爆買していていた人が、急におはじきを買わなくなれば、当然におはじきの値は下がる。値が下がれば、価値はない。じゃあ少しでも高いうちに全部売ってしまおう、というのが偽らざる人情なのだ。
だから、日銀が国債の買い入れをいきなりやめると、国債の値段が暴落することとなってしまう。国債が暴落するということは、円が外国為替で暴落することにつながり、円が暴落すれば石油の値段が相対的に高くなって、物価が急上昇することになる。物価が急上昇すれば、これはハイパーインフレであり、戦前ドイツの札束を積み上げる光景が、日本で再現されてしまう。

本当は以上の話に、金利の話も絡んできてさらに話は複雑なのだけど、語弊を恐れず簡単に説明すると、以上のようなものが、アベノミクスであるのだ。

 

現状はどうなっているのか

ところで、現在の日銀の国債買い入れ額は、年間ほぼ100兆円である。この本が書かれた当時、日銀の債権所有はほぼ100兆円であったのだが、四年後の現在400兆円ほど、ということで、大体計算が合う。それで、買い入れのペースを落とすこともできないのだから、少なくとも6年後には、日銀だけが国債を所有していることになってしまう。ちなみに、欧米の中央銀行との比較もこの本には詳しく書かれているのだけど、他の国はほぼ全国債の10~20%以内で保有率を留めており、アベノミクスは実に「空前絶後の異次元の状態」にあるわけである。

確かに、イギリスのBOEは現在、日本と同じ程の40%の国債を抱えているようだけど、伸び率(年間購入額と総額の比率)が違うようである。また、日本の国債総額は、GDPの2倍近くであり、GDPの80%のイギリス国債とは条件が違う。

この上で、日本の水準がやばいのかどうかは分からないけれど、もう既に「信頼感」しか担保がないのだから、私を含め、多くの人が「日本はやばい、アベノミクスで死ぬ」と言い出せば、本当に明日にでもデプレッションが起こる可能性がある。アベノミクスを声高に批判する人が少ないのもこれが理由であろう。 つまり、さりげなく「出口戦略の必要性を訴える」程度のことしかできないのだ。

だから、敢えて私は言おう。

「日本最高!まだ大丈夫だよ」(笑)

 

もしかしたら「解散騒動」とも関係している

ちなみに、最近の動向としては、アメリカの中央銀行FRBが、利上げ、つまりはアベノミクスと反対の動きをし始めている。これは放置しておくと、デプレッションにもつながりかねない円安を招く可能性がある。というのも、金利の高いドル建てで、資金を運用しようとする人が増えるからだ。

また、日銀の国債保有総額も10月を境に減り始めたそうである。案外、今回(2017.10)の解散は、こういったことに配慮してのことかもしれない。つまり、日銀の方向転換をマスコミ全部が騒ぎ出せば、デプレッションの可能性が高まる。しかし、選挙で騒いでいれば、このニュースは少なくとも陰になる。

まあ、安倍氏におかれましては、自分でまいた種であるからには、キッチリと尻拭いしていただきたい。そういえば、解散表明の記者会見では、「アベノミクスが必要だったこと」を必死に強調していた。その辺の伏線も考えると、かなり信憑性の高い話と思う。つまり、アベノミクスは必要だった、だからこれから金融混乱が起こっても、アベノミクスをやり出したこと自体は悪くなかったのだよ、というロジックの伏線という意味である。残念なことには、ただの言い逃れ、あるいは自分の心の中だけでの責任回避にしかならないのだが。

 

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