平田 圭吾のページ

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「生兵法は怪我のもと」 ー 孫子を例にして

抄訳や一日一話形式の本はオススメしません

私は、抄訳(原典のいいところだけを抜粋して訳したもの)や一日一話形式で断片的にしか知識を提供しないものをおすすめいたしません。 

確かに抄訳や一日一話形式は、読む部分が少なく、考えることも少なく、少しの時間で簡単にその古典のことが分かります。例えば『孫子』なら『孫子』を全文読んだ気になれます。

しかし実際は全文読んでいないのです。この実際には全文読んでいないということにより大失敗をして、大きなチャンスを逃すのです。

 

古典(孫子)を全文読まなかった場合の失敗例 

これを分かりやすく例え話にしてみましょう。

 

孫子には「兵は拙速を聞くも未だ巧久を睹ざるなり」(戦争とは早くて拙(つたな)いということはあっても、未だかつて、長くてうまくやったということはあり得ない)とあります。これは今で言えば、サンクコストの切り上げとか、損切りとか言われることです。 

確かに、この説には一理あります。これでうまくいくことはあるでしょう。しかし、うまくいかない場合もあるのです。

 

営業での失敗例

(読み飛ばして次の恋愛での例えでもいいです)

例えば、ある一定の地域にだけ商圏がある商社が、外への営業をやめてしまった場合です。この商社では、確かに営業の成果は上がっていません。しかし、隣のライバル社も同じ所に営業をしていたとしたらどうでしょう?

こちらが営業をやめた途端に、ライバル社が営業の猛攻をかけて、隣の商圏がライバル社のものとなる可能性が出るのではないでしょうか?

隣の商圏がライバル社のものとなると、今こちらに付いてるお客さんも「あ、お隣さんがあっちにしたし、うちもあっちにするよ」となり、今のお客さんも次々とドミノのようにライバル社についてしまうのではないでしょうか?

 

恋愛での失敗例

例えば、意中の人がいて、この人へのマメな連絡やアプローチをやめて、次の人に軽々しく移った場合です。この人はあなたが気にするほどの人ですから、魅力的な人です。ここぞとばかりに別の人がアプローチするのではないでしょうか。

それだけではありません。あなたは周りの人から「軽い人」と思われてしまいます。 

 

断片的な知識が失敗のもと

この場合、『孫子』の断片的な言葉を信じて損切りしてコストや労力を削減したつもりが、今ある売上まで減らし、自分の立場を危うくしてしまったことになります。まさに「生兵法=生半可な兵法」が「怪我の元」となっていますね。

 

連続的に全部読んでいれば失敗しなかった

しかし、『孫子』を全部読んでいれば、「勝つべからざるは守なり、勝つべきは攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余りあればなり」(勝つことができない形とは守りであり、勝つことができる形が攻である。守りは足らないからやむを得ずにそうするのであり、攻めは余力があって初めてできることである。)という部分も読んでいたはずです。

ここを読んで理解していれば、同じ孫子の言葉を信じるということにしても「今は守りの時だから、そのためのコストや労力で、なかなかうまくいかないのも仕方ない」と考えが及んでいたはずです。

 

古典はそれ全部で体系化されている

これが「生兵法は怪我のもと」と言われる理由です。何にしても「分かった気」になって勘違いすることが最も恐ろしいことです。ものにもよりますが、基本的に古典とは、それ全部で体系化されているものです。なるべく全文があるものを読まれることをおすすめします。

 

その本がどのような目的でそのように書かれたのか確認しよう

抄訳や一日一話形式のものを読む場合は、「はじめに」などで、その形式を選択した理由を調べましょう。書いてないものは論外で、駄本と言うべきものです。また、「他の本で全部読んでみましょう」「これは紹介です」などの言葉がないものも高い確率で駄本です。買うだけお金の無駄で、読めば時間の無駄です。

 

「忠言耳に逆らう」(まごころのこもった言葉ほど聞くのに抵抗がある)と言いますが、その本が本当に読者のことを親身に思って書かれたものなのかをしっかり見極めましょう。