平田 圭吾のページ

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『大学 現代語訳』の紹介

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大学 現代語訳の概要

はじめに

 この『大学』という書物は、儒学の経典「四書五経」のうち、四書の第一に挙げられるものです。あの薪を背負って本を開くメガネの子ども像「二宮金次郎」が手にしている書物こそ、この『大学』に他なりません。また、この『大学』は、戦前、教職者採用試験の必須科目であったこともあるそうです。これに加えて、江戸時代の侍教育が、儒学を基調に行われていたことを考えると、『大学』が日本に及ぼしてきた影響は多大なものです。

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 しかし、時代は移り、人が生活する環境も変わりました。特に、儒学の経典で使われている「漢文」は、日常生活に縁遠いものとなってしまいました。また、この変化に伴って『大学』それ自体も、日本人から遠く離れてしまったように思われます。「武士道」も「大和魂」も忘れ去られそうになっている今だからこそ、この『大学』が広く日本人に読まれるべきと思われてなりません。

 ただ、「漢文」が日本語に近いこともあって、今までは「漢文」にこだわった古めかしい本の方が多く出版されてきました。これでは、現代の人が『大学』に親しむことはできません。そこで、今回は、「漢文」を外国語と割り切って、大学を訳出してみました。

※書き下し文は巻末に抜粋のみ掲載されております。

 

大学章句序(以下サンプル文)

 この『大学』は、昔、大学で人を教える時に用いた方法について記した書物です。

 そもそも、天がこの地上に人を生じさせるときは、必ず仁義礼智という本性を与えます。

 けれども、各人には、それぞれが受けるその人に特有の気質というものがあります。このため、すべての人が、仁義礼智という本性を知り、生きているうちにその本性を全うできるわけではないのです。

 しかし仮に、本性を尽くすことができる聡明叡智の人が、一度でもこの天と地の間に出ることがあったとします。すると、天は、この人に億兆の人の指導者となることを命じます。こうして、天は、この人に人々を治めさせ、この人によって人々を教え、人々を仁義礼智の本性に立ち返らせるのです。

~中略~

 

大学

[程子]曰く、「『大学』は[孔子]の残した書物であり、初めて学ぶ人が徳に入るための門のようなものです。今現在、昔の人がどのように学問をしていたのか、その次第を知るためには、現存するこの『大学』に頼るしかありません。この後に、『論語』や『孟子』を読むべきです。学者が必ずこの書物を拠り所として学ぶならば、学問の本道から外れてしまうこともなくなるでしょう」

 

経一章

『大学』が指し示す道とは、誰からも納得されるような明徳を明らかにすること、人々をお互いに親しくさせること、至善(しいぜん)に止まること、この三つです。

 止まることを知ってこそ、定まることができます。
 定まることができればこそ、静けさを保てます。
 静けさがあればこそ、安らかさを得ることができます。
 安らかさを得てこそ、よく思慮することができます。
 よく思慮することができてこそ、得ることもできるのです。

 物には本末があり、事には終始があります。何が先で何が後なのかを知ることができれば、道も近くなるでしょう。

~中略~

 物事の仕組みに通じてから、知が至ります。(致知・格物)
 知が至ってから、誠意が持てます。(誠意)
 誠意が持ててから、心が正しくなります。(正心)
 心が正しくなってから、身が修まります。(修身)
 身が修まってから、家が整います。(斉家)
 家が整ってから、国が治まります。(治国)
 国が治まってから、天下が平らかとなるのです。(平天下)

 天子から庶民にいたるまで、皆、修身が根本となることは同じなのです。根本が乱れているのに、末端のことが治まるということは、あり得ません。厚くするべきところを薄くしたのに、その薄くしたところが厚いということは、未だかつてあり得ないことなのです。

 

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