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平田 圭吾のページ

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近代政治哲学: 自然・主権・行政 (ちくま新書)を読んで

主権や民主主義という言葉の問い直し

かなりいい本だったと思う。

主権、民主主義というものが何であるのかということを、改めて問い直しており、これらの概念にまだ改良や詳しい定義のやり直しの余地があることが非常に納得できた。また、これこそが哲学だとも納得できた。

ただ、まだお若い方でいらっしゃることもあり、こんなことを何の前提もなしに急に言い出せば、先生方に猛攻撃を受けることになるので、そのことに配慮してか、以下に示す「権威ある」古典を読み解くことにより、この伝えたいことを伝えるという体裁になっている。権威には権威ということだろう。私に言わせてもらえば、もう自分の言いたいことを別の権威を借りずにまとめていただいてもいいと思うが、まあ、誰も納得しないだろうなぁとは思う。(権威的な意味で)

 

本内部での理論の整合性と慎重な姿勢がある

全体的に、この本内部での理論破綻はなく、また、古典を読み解こうという姿勢もかなり慎重であり、この点で、非常に好感が持てるし、実際に突飛な発想をしているというわけではないと思う。

ただ、ひとつ残念なことには、西洋の哲学者が読み込んでいたと思われる書物、つまりは、プラトンアリストテレス、聖書などを読み込んでいることは伝わって来ず、こういった意味で、これらの本を読み込むと、あくまで私がだけど、さらに満足できる本になっていたと思うし、もう少し深みのある議論ができたと思う。

 

本の内容の流れ

本の内容としては、近代政治哲学の主権という概念がどのような時代背景から出てきたのかなどを、1章の近代政治の原点・封建国家で読み解くことから始まる。ここでは、マルク・ブロックの『封建社会』と、ジャン・ボダンの『政府六論』が主に引用されている。

次に、2章近代政治哲学の夜明けで、時代の要請によって、ホッブズの『リヴァイアサン』が中央集権的国家の根拠となったことが述べられ、

3章近代政治哲学の先鋭化で、スピノザが、『神学・政治論』『国家論』によって、ホッブズの理論をさらに突き詰めたことが述べられる。ここらへんまででは、主権や社会契約の根拠となる「自然状態」について、丁寧に説明されていると言える。

こうして、4章の近代政治哲学の建前で、ロックの『政府二論』が、当時の統治体制を維持するための根拠として、広く受け容れられたとしている。だから、ロックの理論は、受け入れられるもの、つまりは、あくまで建前であり、もっともらしいものであるが、哲学的に突き詰めたものではないとしている。これは、マルクスも「資本論」で、「ロックの理論は、前提が宇宙から飛び出してくる」(記憶曖昧だが)と皮肉っていることとも一致して、そうなんだろうなぁと思う。

5章は、近代政治哲学の完成ということで、ルソーの『人間不平等起源論』と『社会契約論』では、どのように自然状態から導かれる主権や一般意志が定義されているのかが説明され、こうして主権の概念が限りなく純化されたとする。また、ルソーは直接民主制論者だというのは俗説だとも主張しておられるが、直接民主制が実際に不可能なことは、誰もが分かることであり、ルソーがこれを分かっていないはずもなく、この方の主張が正しいのだろうと思う。

こうして、6章近代政治哲学への批判となり、ヒュームの『人生論』を根拠に、「自然権が幻想であること」が述べられる。ここでは、今までの流れとは違う根拠の考え方によって、主権への正当性へのアプローチをしようとするヒュームの批判精神が読み取れた。ただ、ヒュームは、アダム・スミスと大の親友だったらしいが、アダム・スミスの『道徳感情論』は読んでいらっしゃらないようで、この点は残念だった。

最後は、7章近代政治哲学と歴史にて、カントの『永遠平和のために』が詳察されることとなる。カントをよく読むと、民主制というものはあり得ないという驚愕のカントの主張が導き出せることが述べられている。理論破綻は起きていないし、『永遠平和のために』は積読されているので、読んでみようと思った。

 

紹介の古典と合わせて、是非とも多くの方に読んでほしい

かなり長くなってしまったけど、上に『~~』で示してきた書物を読む前に、この本で流れを把握しておくと、全体像が捉えやすく、理解も促されるだろうと思う。

近代政治哲学の歴史を俯瞰するという観点からも、この本は読む価値があるので、是非とも多くの方に読んでほしいと思う。ただ、「概念が何であるのか」ということに詳しくないと、途中で理論を見失ってしまうかもしれない。こういった意味では、この本を読みこなすためには、ある程度の哲学の素養が必要だと思う。

ちなみに、偉そうに述べてきたが、私は、この中では、ロックの『市民政府論』(政府二論の片割れ)と『永遠平和のために』及びスピノザの『エチカ』の途中までしか読んだことがないので、ここに紹介されている書物くらいは、今後、是非とも読んでみようと思った。

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