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平田 圭吾のページ

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『経済学の哲学 - 19世紀経済思想とラスキン』(中公新書)を読んで

全体的な本の構成

全体的な本の構成としては、「エコノミー」を、「ポリティカル・エコノミー」及び「エコロジー」という二つの概念に分けた上で、この概念の変化を歴史哲学的に紹介していくものとなっている。また、これだけでなく、さらにこれをジョン・ラスキンという思想家の思想でも追っている。

上の紹介文自体も、いまいち意味が分からないように、ジョン・ランスキン、及びエコノミーの分解という二つの基軸があることにより、大変に主題が分かりにくいものとなっている。
また、歴史哲学的な要素が大きいため、いろいろな横文字の思想家が次から次へと出てきて、私にはとても読みづらかった。小説だと、確か、名前の与えられる登場人物は一万字に一人まで、としないと読者が混乱してしまうということだったと思うけど、この観点からすると駄作ということになる。もう少し登場させる思想家を少なくしているか、章の構成をもう少し工夫すると良かったのではないか。
とはいえ、忘れられた思想家であるジョン・ラスキンを紹介するという上では、必要最低限なものとも思われ、難しいところではある。

 

本の内容を詳しく紹介すると

 

序章 ジョン・ラスキンの生涯

序章には、ジョン・ラスキンの生涯について書かれている。彼は、19世紀のイギリスを生きており、『近代画家論』で芸術論者として名を成した人であった。その後、当時の経済を批判したことにより、今で言う所の炎上を被ることになり、隠遁生活などを余儀なくされてしまう。その問題の書物は、『この最後の者にも』である。

 

一章 ポリティカル・エコノミーの歴史

一章は、「ポリティカル・エコノミーの歴史」ということで、クセノフォンやプラトンアリストテレスが、経済をどのように捉えていたかということが紹介される。
次に、ラスキンの時代の経済を決定したという意味で、アダム・スミスが紹介されるのだが、この辺りから、雲行きが怪しくなってくる。というのも、この著者の方も、あとがきでおっしゃっているのだが、経済学はご専門ではないらしく、私が読んでいても、理論破綻や正確でないと思われる記述がいくつも見受けられるからだ。酷評であるが、論文を貼り合わせたような文章で、非常に読みにくいし、面白くない。


話を戻して、次には、同じ時代を生きた経済学者ということで、ラスキンが、ベンサムやミルやリカードなどの主流経済学とどのように争ったのかが書かれている。

 

二章 ラスキンの経済論

二章は、「ラスキンの経済論」ということで、一章と同じ内容が、さらにラスキンの批判という観点から鮮明化される。ラスキンは、富の意味を変えること、また、労働の意味を変えることで、主流派経済学を批判しようとしたみたいである。


まず、富の意味は、「自由放任の富は富ではない、名誉ある富のみが富である」としている。これは、庶民には非常に受け容れやすい考えである。金持ちの富が、金持ちの自分勝手で使われるのは、非常に腹立たしい。ある意味それは、われわれ庶民から搾り取った富であるからだ。だからこそ、その富は名誉ある富であるべきであり、社会の守護者としてこれを使う時、これこそが真の富に成ると言うのだ。


労働の意味の変化については、当時のイギリスでは、「労働=苦役」というコンセンサスがあったようで、「労働は生そのものである」としてこのコンセンサスを批判する。これは、現代では、「働くことは生きがい」などの言葉によって、実現されたと言える。「労働=苦役」ではないからこそ、ブラック企業が異常なまでに批判の的となることが何よりの証拠である。

 

三章 きれいな空気と水と大地の方へ

こうして、三章「きれいな空気と水と大地の方へ」でエコロジーと、今まで述べてきたポリティカルエコノミーの関連性や、エコロジーという言葉の歴史哲学的な説明がされることとなる。


ラスキンは、芸術論を書くほどの人であり、かなり感性が独特で、簡単に思想として言葉で表現できるような考えを持っていたわけではないようだ。だから、プルーストガンジー・モリスなどの、思想家ではあるが、理論家ではないような人がラスキンを支持しており、こういった意味でも、一般受けは難しいのだろうなぁということがなんとなく分かった。


それで、エコロジーとは何かというと、これも、時代や使う人によってさまざまな意味があるが、簡単に概略を述べると、「人と環境の調和」ということになる。人類至上主義に対抗するとも言える思想全般である。1800年台のイギリスと言えば、工業化が進んで、街がスモッグで覆われ始めたころであろうから、その時代を生きたラスキンが、エコロジーという概念について考えていたことは、自然といえば自然なことであろう。

 

個人的な評価

全体的に言うと、芸術論者でなく、経済思想家としてのジョン・ラスキンについては、日本ではほとんど研究されていないと思われるので、この先駆的な研究の結果としては、有意義な著作であると思う。ちなみに、この本自体の刊行は2011年で、それ以前の2008年に、同じく中央公論社から、『この最後の者にも』の翻訳は出ているようである。

 

ただ、私としては、これは「哲学」の本でなくて、註釈学や歴史学の分野の本であると思う。日本の新書は、誰か西洋の思想家の註釈学の本が圧倒的に多い。だから、一から自分の理論を構成して思想を述べるような本当の哲学の本がもう少し刊行されるようになるといいと思う。こういった意味で、新書には、日本の学会の独創性のなさが感じられる。私にこのように偉そうなことを言う資格はないかも知れないが、日本の哲学関連の学者の方々には、註釈学以外の哲学について、是非とも頑張って頂きたい。

 

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