平田 圭吾のページ

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西郷隆盛『遺訓 現代語訳』より「はじめに」

 西郷隆盛がどのような人物なのか、ということについて、敢えて紹介する必要はないでしょう。日本人ならば、誰でも知っている人です。そこで、恐縮ではありますが、私の『遺訓』への思いを述べることで、はじめにとさせていただきます。

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『遺訓』との出会い

 私がこの『遺訓』と出会ったのは、まさに偶然でした。電子書籍ソフトにて、無料タイトルで面白いのがないかなぁと漁っているとき、たまたまこの『遺訓』の青空文庫版が表示されたのです。西郷隆盛はどのような人物であったのだろうと、これをダウンロードしてみました。

青空文庫の無料版はこれですが、旧漢字や漢文の返り点表記のオンパレードで、古書に慣れている方でないと読めません。気になるけど旧漢字に自信ないという方は、記事最後のリンクより現代語訳をお買い求めください)

 

儒学の到達点としての西郷

 内容を読み進めるに従い、私の心は満足で満たされました。というのも、私にそのような評価をすることが許されるのならば、西郷隆盛は、論語ほか、四書五経に代表される儒学思想を体現した人、ある意味では、儒学という学問の到達点と言って差し支えないと思えたからです。このような感動を覚えたのは、渋沢栄一の『論語と算盤』を読んで以来のことでした。そう遠くない過去に、しかも日本に、このような人物がいたということを知り、それだけでこの上ないほど深い満足感を得ることができたのです。

 

遺訓の翻訳に当たって

 ほどなくして、NHKの大河ドラマにて、西郷隆盛が扱われることを知り、この機会に、是非とも多くの方に西郷隆盛の良さを知ってもらいたいと、この翻訳をすることを決めました。私のような不徳の者では、西郷の足元にも及ばないかもしれません。しかし、儒学的な観点から、この『遺訓』を読み解く書物は、今のところ少ないようで、己の浅学を顧みず、関係が深い記述には、『論語』『大学』『中庸』を引用しながら、内容をさらに詳しく説明することを主眼に、解説を加えることとしました。
 また、論語などにあまり親しんでいない方にも、西郷の良さ、引いては論語などの良さを分かっていただくため、できるだけ、平易な言葉を選んで現代語訳をし、卑近な例えを用いるようにしました。このようなわけで、主眼は、あくまでも論語などの儒学思想と西郷の関わりにあります。歴史的な観点、伝記に書かれるような時代背景に関する解説はないため、この点についてはご了承いただければと思います。

 

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