『フロイト入門』(筑摩選書)を読んで
フロイトを知りたい人には良著
けっこう分厚い本で、いかにも大学の教科書という感じの本だった。
内容としては、フロイトの論文や理論が時間と順を追ってまとめられており、まさに「フロイト入門」という題名に相応しいものだった。翻訳者の方の、フロイトが読んでいたと思われる参考文献への理解も伺えて、フロイトを知りたい人にとっては良著だと思う。
フロイトの主張は変化している
フロイトも、83才と長いこと生きていること、また、生きた時代が、まさに近代の科学が確立されつつある時期であること、さらに第一次世界大戦とナチスヒトラーの時代という激変期を生きており、こういった意味で、非常に理論が変わっていっているように思った。
だから、一概に「フロイトが~~~と言っている」と、何かを決めつけるような物言いは、ほとんど不適切であろうと思う。フロイト自身の持論がどんどん変わっているのに、フロイト自身が後に覆した理論までも正論とするのはやはりおかしい。
また、これに関連して、フロイトは、自分自身の理論を全体から俯瞰して統合し、調整するような著書は残していないようで、いたるところに理論の矛盾があるように感じた。こういった意味でも、フロイトの理論は基本的には「未完」で、フロイトの「権威だけ」を借りた理論が現在かなり横行しているのではないかと思う。
フロイトの功績
私としては、フロイトの功績は、あくまでも「精神分析」という分野を確立したことであって、彼の理論が全てにおいて納得できるものとは思えなかった。
晩年までフロイトが固持した理論としては、「エディプスコンプレックス」が挙げられるであろうが、これもいろいろな所に理論的破綻があるように思われる。また、そもそも、この理論自体がフロイト自身の生い立ちとの関係が深すぎて、こういった意味でも一般化できる理論ではないように思った。
精神分析はオカルト
このような弊害が起こるのは、人間の精神、または人間の精神分析の分野がどうしても「オカルト」の域を越えないことにあると思う。
というのも、人間の精神は、電磁波のように数値化もできないし、万有引力の法則のように数式化もできないし、物理現象のように実験によって反復することもできないからである。だから、どうしても、想像の域を越えることができない。こういった意味で、隠されたもの、つまり「オカルト」の域をどうしても出ることができない。精神分析も、所詮は見えないことを見えないなりに、秩序付けて理論に当てはめようとするだけのものなのだ。
無意識の発見はフロイトの功績
ただ、フロイトが挑戦したこの分野は、人類にとって意味のある分野であるし、これによって助かった人も多くいると思うから、その点では非常に評価できると思う。
また、この本の冒頭には「神が死んで人間の理性が神に成り代わったのであるが、フロイトの研究によって、この理性が『無意識』に支配されているものだったと明らかにされた」とあるが、確かにそうなのかもしれない。
われわれ現代人は、少なからず「自分は無意識という自分自身でも制御できないものに支配されている」という共通認識を持っていると思うが、この共通認識をわれわれが持っているのは、まさにフロイトの研究の成果なのかもしれない。