平田 圭吾のページ

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『渋沢栄一――社会企業家の先駆者』(岩波新書) を読んで

渋沢栄一の生涯を歴史資料から客観的にまとめた本。
同じタイプの本はあまり読んだことがないので、うまくまとめられていたかどうかは分からない。
ただ、なるべく主観を排して歴史資料に基づく説明に徹しているということはよく伝わってきた。だから、渋沢はこう考えていたみたいなことを決めつけていないという点、渋沢本人の著書論語と算盤 (角川ソフィア文庫)などと合わせて読むことが前提となっていると思われる点で良いと思う。そもそも、渋沢栄一の思想は、「道徳経済合一論」と言われているが、これも含めて渋沢を知るという意味で、まずは『論語と算盤』のほうを読んだほうがいい。

 

金儲けでない商売

この本の主題となっている渋沢栄一は、日本で最初の実業家、有名所では現在のみずほ銀行の初代頭取である。また、「民」の立場から、日本の商工業を発達させたという功績において、右に出る人はいない。そのような意味においても、まさに、「金儲けでない商売」を実践した人として間違いない。この人のことを知れば、誰もが、現代の「資本家連中」に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと思う人物である。

 

渋沢栄一が偉大である歴史的背景

また、「民の立場から商工業を発達させた」とはどんな意味なのかについては、少し歴史的な背景を述べないとならないだろう。
そもそも、江戸時代までには、商家や農家というのはあったけれど、それは全てお上の意向のもとに運営されていた。
現在では想像できないことであるが、例えば、農家に利発な子がいて、「ここできゅうりを大量に作って、きゅうりが不作の隣の藩に売りに行けば、みんなきゅうりが食べれてハッピーになれる」と、そういった商売を始めたとしよう。この商売は、利発な子の予想通りにうまく軌道に乗り、評判を集めるようになった。しかし、たまたま機嫌を悪くしていたお殿様がここを通りかかり、「おい、お前何勝手なことしとるんじゃ」の一言があったとしよう。そうしたら、誰がなんと言おうと、もうこの商売はやめなければならない。これが江戸時代だ。
そのような状況であるから、皆萎縮してしまって、そもそも皆がいいアイデアを考えようともしない。お殿様の気まぐれで、どんないい案でも簡単に潰されしまうのだ。そればかりか、あわよくいいアイデアを思いつき、殿様の了解を取りに行ったとしても、「おお、いいアイデアじゃな、それは越後屋にやらせよう」と言ったら、それでおしまいなのである。

このような状況が300年も続いていたわけだから、「民」が何か事業を立ち上げるということ自体が、もう本当にあり得ない状況だったのだ。確かに、形の上では明治維新を経て、それは可能であった。しかし、300年も続いた「民」のこの卑屈さはなかなか抜けないし、「民」からしても、いきなり「いいよ」と言われて、すぐに変われるわけではない。

そんな中、お上の立場を敢えて捨てて、「民」の立場からこの状況を打破しようといろいろ尽力したのが、渋沢栄一である。
こうして、渋沢栄一が、実際に事業を立ち上げ、その事業を運営し、そうすることで皆の手本となったし、その事業が日本の商工業化を推し進めたのだ。

 

渋沢栄一の成功談は他と違う

基本的に成功談というのは、ある集団から飛び出して、上位集団に移るというものが多い。
つまり、貧乏人が金持ちになる、庶民が総理大臣になる、平社員が社長になる、といった類である。これらは、成功談としては分かりやすいけれど、結局助かったのは自分だけという話ばかりである。
貧乏人の一人が金持ちになっても多くの貧乏人の地位が向上するわけではない。庶民の一人が総理大臣になっても誰もが権力から解き放たれるわけではない。平社員が一人社長になっても多くの人の生活が楽になるわけではない。その本人の地位だけが向上するに過ぎないのだ。
しかし、渋沢の成功談は違う。お殿様に絶対頭が上がらなかった単なる「民」が、渋沢の尽力によって明らかに地位向上したのである。この部分において、渋沢の成功談は、普通の成功談と全然質が違うのだ。

 

本の感想とは関係なくなってしまったが、渋沢栄一の偉大さはなんとなく分かっていただけたものと思う。また、このようなことを理解すると、この本や本人の著書をいっそう興味深く読んでいただけるだろう。

 

 

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論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

 

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