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『袁世凱――現代中国の出発 』(岩波新書) を読んで

この本も「李鴻章」と同じような歴史観のもとに、実質的に、李鴻章の後継者となった袁世凱についてまとめたものとなっている。

妾8人のハーレム状態で三日皇帝の袁世凱

この袁世凱も日本で知っている人はほとんどいないだろう。ただ、この人物に関しては、簡単なエピソードを紹介することで、直ちに興味を持っていただけるものと思う。

そのエピソードとは、正妻1人に妾8人、この上、赴任先だった朝鮮からいくらかの女性を本国に連れ帰った。また、晩年には、皇帝の血縁でもないのに、皇帝即位を宣言し、結局は部下に裏切られて数ヶ月で皇帝即位を撤回した。
いろいろ思う所は多いであろうと思うが、かなり関心は持っていただけたものと思う。

さて、この袁世凱であるが、やはり嫌いな歴史的人物として挙げられることが多いらしい。しかし、私はもう好悪の感情を越えてしまったのか、あるいは、死んでいる人間に敢えて好悪の感情を寄せるのは無駄だと思ってるのか、袁世凱に対して何とも思わない。ただ、同時代に近い所にいたとしたら、やむを得ず敵対視するか、あるいは、危険人物として関わらないか、のどちらかであっただろうとは思う。ちなみに、袁世凱の写真が所々にあるのだが、典型的な三白眼の持ち主である。人相について少し知っている人ならば、すぐに意味が分かるだろう。

 

袁世凱の軌跡

袁世凱は、そもそも、地元でも抜群の名家の生まれで、そのころの中国の常で、例外に漏れず、科挙の英才教育を受けていた。しかし、なかなか試験がうまくいかず、養父が没したのを機に

「大丈夫まさに命を国防にいたし、内を安んじ外を攘(はら)うべし、いずくんぞ齷齪(あくせく)、筆硯(ひっけん)の間に困(くる)しみ、自ら光陰を誤つべけんや」

と言って、科挙の勉強をやめてしまったらしい。意味としては、「科挙の勉強なんてくだらねぇ、外国の脅威が迫っているのに、時間のムダもいいところだぜ」といった具合になる。

出世のキッカケは、朝鮮でのクーデターをほぼ独断で鎮圧したことだった。その後、10年くらい朝鮮に清の使節として軍とともに駐屯している。また、朝鮮の東学クーデターを機に勃発した日清戦争の折には、すぐに本国に逃げ帰っている。ただ、さすがに自分が使節として駐屯していた朝鮮での戦争だから、補給線の任務には就いていたようだ。だが、敗戦とともに、地位は無くなることになる。

しかし、その後、過去の軍務での実績などを買われて、新式装備を揃えた軍隊の訓練の任務に就くことになる。当時の中国では、軍隊は、国のものでありながら、首領、ここで言うと袁世凱のものでもあった。だから、指揮権は袁世凱にあり、これがまた彼の運命を翻弄することになる。西太后暗殺のクーデターに巻き込まれてしまうのだ。しかし、このクーデターは失敗し、うまく立ち回った袁世凱は、西太后などからむしろ信頼され、その後、李鴻章の実質的な後継者となって、地方大官として影響力を及ぼすようになった。

しかし、西太后の死と共に、中央集権の機運が高まり、地方大官だった袁世凱はその標的となって失脚する。その後数年間、隠遁生活を送るのだが、今度は、革命派による辛亥革命が起こり、清朝の存亡に関わる事態に発展してしまう。この時、清朝の要職は、いわば、皇帝一族のボンボンで占められていて、革命軍を鎮圧することができなかった。というか、清朝は、ずっと地方大官に実務を任せていたのであり、この非常時を回収できなかったは当然といえば、当然のことだった。こうして、清朝袁世凱に頼らざるを得なくなり、袁世凱が軍を動かし、革命派と「清朝の人間を全部下ろす」という条件で和睦する。この後に、イギリスの後援を得た袁世凱が皇帝即位を宣言することになる。しかし、冒頭にも述べたように、部下に裏切られて撤回、そのすぐ後に病気によってこの世を去ることになる。

 

袁世凱曹操に似ている

ざっと追ったのだが、袁世凱は、どうやら、科挙の勉強をやめて、歴史書や兵法書を読んでいたようだ。結局はここが、軍の統率という彼の特技となったのだし、まったく学問をやめたわけでなかったのは明らかだ。

また、彼にまつわるエピソードとして、「手を握って別れを惜しんだり、客がいる時だけはともに美酒を飲んだり」していたらしい。この、人を過剰とも思えるほどもてなす行動は、実は三国志の英雄曹操とかなりかぶる行動でもある。他にも曹操に共通する部分は多い。それで、袁世凱曹操に似ているなぁと最初思ったのだが、むしろ、袁世凱曹操を真似ていたのだろうなぁと思った。いつからかは分からないけれど、自分と境遇の似た英雄である曹操、悪役にも仕立てられる曹操に自分を重ねていたのではないかなと思った。これも、歴史書を読んでいたのだろうという根拠である。

 

親日台湾と反日朝鮮のルーツはこの時代にもある

あと、非常に興味深く思ったのは、このころの朝鮮と台湾に対する日本の出兵である。現在、朝鮮は基本反日、台湾は基本親日という感じなのだが、どちらにもほぼ同時期に、日本が出兵を行っているのである。この時、台湾は清から見捨てらるような格好で日本軍が来た、のに対して、朝鮮は清軍だけを頼ったはずが日本軍まで来てしまった。出兵の契機は違うものの、招かざる客かそうでないのか、というこの一見些細な違いは、現在の国民感情につながっている可能性も高いだろう。

ちなみに、中国は、日本に対して、元寇、つまり軍事的脅威というイメージが根強く残っていたらしい。李鴻章袁世凱の時代に、日本は、中国にとって軍事的なライバルという位置づけである。関心すべきは、そのように敵視しながらも、最終的には、日本への留学を奨励し、日本を見習おうとしたことだ。言うまでもないが、「敵と関わるな」「鬼畜米英」といった偏狭な考え方は、やはり損が多いということだろう。歴史を少し詳しく勉強していれば、「敵味方で一切交流なし」というのは、むしろ稀な例であることは誰でも分かると思う。現在のネット上での「ネトウヨVSパヨク」についても歴史を参考に考えていただければと思う。

 

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