平田 圭吾のページ

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『学問のすすめ』現代語訳9 日本屈辱の歴史である不平等条約は頭が弱いから押し付けられた

三編1 国は同等なること

 おおよそ、人という名さえあれば、富んでいても貧しくても、強くても弱くても、人民でも政府でも、その権利(権義)において異なることがないということは、第二編に記したところである。(二編にある権理通義の四文字を略して、ここにはただ権義と記した。いずれの語も、「right(権利・正確な)」に当たる。)今、この意味を押し広めて国と国との間柄について論じよう。

 国というものは、人の集まっているものであって、日本国は日本人の集まったものであり、イギリスはイギリス人の集まったものである。日本人もイギリス人も天地の間にある同じ人であるから、互いにその権利を妨げることがあってはならない。この上で、一人が一人に向かって害を加えることが筋違いということならば、二人が二人に向かって害を加えることもまた筋違いになるはずだ。これは、百万人でも千万人でも同様のことであって、物事の道理は人数が多いか少ないかということによって変わることではない。

 今、世界中を見渡してみると、文明も開化して文字も武備も盛んな富強の国もあれば、蛮野未開で文武とも不行き届きな貧弱な国もある。一般的には、ヨーロッパやアメリカなどの諸国は富んで強く、アジアやアフリカなどの諸国は貧しくて弱い。けれども、この貧富と強弱は国の有様であるからには、同じでないのが当然だ。そうであるのだけど、今、自国が富強であるという勢いによって、貧弱な国に無理を加えるのならば、いわゆる力持ちが腕力で病人の腕を握り折るようなことと何の違いもなく、国の権利という観点から許してはならないことである。

 話を近くして、われらが日本国にしても、現在の有様では西洋諸国の富強に及ばないところもあるけれど、一国の権利においては毛ほどの差もないはずだ。だから、道理に外れて曲がったことを被るような日が到来したのならば、世界中を敵に回しても恐れるには足りない。初編の第三段落前半に述べた、日本国中の人民は一人残らず命を捨ててでも国の威光を落とさないようしなければならない、とはこのことである。

 それだけではなく、貧富富強の有様は、生まれついた天然のものではなくて、人の努力次第で移り変わるものであり、今日の愚人も明日は智者となり得るのだし、昔からの富強も今日では貧弱となり得る。古今、こういった例は少なくはない。我らが日本国人も今から学問に志して、気力を確かなものにして、まずは一身の独立を謀り、そうして一国の富強にまで致すことができるのならば、どうして西洋人の富強を恐れる必要があろうか。道理を備えているものとは交わり、道理を備えていないものは打ち払うのみである。一身独立して一国独立するとはこのことである。

 

【解説】日本屈辱の歴史である不平等条約は頭が弱いから押し付けられた

  ここに言うような、「自国(欧米列強)の富強なる勢いをもって、貧弱なる国(日本)に加えられた無理」としては、やはり「不平等条約」が最も有名であろう。欧米諸国が強かったから、「自国民の裁判は日本で行わせない治外法権」がまかり通って外国人に罪を償わせることができず、「輸入品に自主的に関税をかける関税自主権」が認められずに多くの国益を失った。実に日本が弱かったことによる屈辱であると言える。

 しかし、日本が弱かったのは武力ではない、弱かったのは頭のほうなのだ。どういったことかと言えば、立場を逆にして考えてみればわかる。例えば、現在の中国は著作権意識が非常に乏しい。ブランドものやらなんやらの偽物はたいてい中国製だ。これは中国国内で著作権に関する法律が整っておらず、中国国民の著作権に関する意識が低いからこのようになっている。

 わが日本として、このような意識が低い国と「著作権に関する平等な条約」を結べるだろうか。もし仮に、そのような条約を結べば、わが日本国民が律義に条約を守る一方で、野蛮未開な中国人は条約の意味も分からず、ただただわが日本のみ無駄に約束事を守り時には損害を被り、かの野蛮未開の中国人は偽物を大量生産して利得を得るということになってしまう。そのような国とは平等な条約など結べない。

 これと同様に、当時の欧米諸国は、野蛮未開な日本と平等な条約など結べなかったのだ。契約書の「け」の字も知らず、旦那の顔色を見て、手もみをしては商品の値段を変えるような商人しかいない国に関税自主権を与えることができるだろうか。あるいは、殿様の不祥事をかぶった下級武士が忠義の臣下と称えられ、喜び勇んでハラキリをするような異常な裁判制度の国に、自国国民の裁判を任せることができるだろうか。そんなことはできるはずがないのだ。

 だから、不平等条約とは、日本に武力がなかったから押し付けられたものではなく、日本が野蛮未開で頭が悪かったから押しつけられたものなのだ。

 当時の不平等条約に屈辱を感じるのならば、日本に武力がなかったことではなくて、野蛮未開で頭が悪かったことにこそ屈辱を感じなければならない。何度も言うように、国の恥辱に関するすべての罪は国民の無学文盲にあるのだ。

 ここに述べたようなことは、日本近代史 (ちくま新書)に詳しく書かれている。詳しくと言っても、幕末から第二次大戦前までの歴史を網羅した歴史書であるからには、そこに割かれた文字数は少ない。それでも、上に述べたことの経緯は十分に分かるだろう。新書にしてはかなり厚い本だが、日本の近代史をよくこれだけの分量にうまく収めたものだ、としか言えない良著となっている。幕末~第二次大戦前までの日本の歴史に興味のある方は、ぜひとも手に取っていただきたい。
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