『学問のすすめ』現代語訳10 人頼みの責任転嫁が国をダメにする
三編2 一身独立して一国独立すること
前に述べたように、国と国とは同等であるのだけど、国中の人民に独立の気力がないときは一国の権利を思う存分発揮することはできない。その次第は次の三カ条である。
第一条 独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず。
独立とは、自分で自分の身を支配し、他によりすがる心のないことを言う。自分で物事の道理や是非を弁別して処置を誤ることがないならば、他人の智恵によりすがることなく独立している。自分の心や体を労し、自分の生計を立てているならば、他人の財によりすがることなく独立している。
人々がこの独立の心もなく、ただ他人の力によりすがろうとだけするのならば、全国の人はよりすがる人ばかりになってしまって、これを引き受ける人はいなくなってしまう。これを例えると、目の不自由な人の行列に付き添いの人がいないようなもので、とても不都合なことではないか。
ある人は、「民はこれに由(よ)らしむべし、これを知らしむべからず」と言った。つまり、世の中には目の見開いている人が千人いれば、目の見開いていない人も千人いるのであり、智者は上に居て庶民を支配し、これを従わせればいいのだと。この議論は、孔子様の流儀であるのだけど、実は大きく間違っている。
一国中に人を支配するほどの才徳を備えた人は千人に一人くらいしかいないだろう。もしも、人口百万人の国があったとすると、ここには千人しか智者がいないくて、残りの九十九万人余りの人は無智の小民であるということになる。
この千人の智者の才徳でこの小民を支配し、あるいは子のように愛し、あるいは羊のように養い、あるいは威圧したりなでたりして、恩も威厳もともに行われ、その向かうところを示したとしよう。そうすれば、小民も知らず知らずのうちにお上の命令に従い、盗みや人殺しのような事件はなく、国内が安穏に治まるということになる。しかし、そもそもこの国の人民が、主と客の二つに分かれて、千人の智者が主(あるじ)となって、いいように国を支配しているのなら、残りの人は皆が皆、何も知らないお客様ということになる。
既にお客様であるのなら心配するようなことも少なく、ただ主人を頼りにして自分の身に引き受けることなどはない。ならば、当然のように主人ほど国のことを心配しなくなるだろうが、これは実に水臭い有様だ。
こういったことは、国内のことであるならばそれほどのことではないのだけど、いったん外国との戦争ということになるとその不都合であることは簡単に想像できる。無智無力の小民は、さすがに武器を逆さまに持ってしまうということはないだろうけど、自分達はお客様であるから「命まで捨てるのはやりすぎだ」と言って逃げる者は多いに決まっている。こんな状態では、国の人口は百万人でも、いざ国を守るということになったら、人の数はとても少なくて、とてもではないけれど一国の独立を保つことなどできない。
このような次第であるから、外国から我が国を守ろうとするならば、自由独立の気風を全国に充満させて、国中の人々に貴賤上下の区別もなくし、その国は自分の国であると各自が自分の身に引き受けて、智者も愚者も目が見開いている人もそうでない人も、おのおのが国民の分を尽くさなければならない。
イギリス人はイギリスをもって我が本国と思い、日本人は日本国をもって我が本国と思い、その本国の土地は他人の土地でなくて我が国人の土地であるからには、本国のことを思うことは我が家を思うかのようにし、国のために財を失うのみならず、命さえ投げ出しても惜しむことはない。これがすなわち報国の大義である。
もとより、国の政治を取り行うのは政府であって、その支配を受ける者は国民であるけれども、これはただ便利のために双方の持ち場を分けているだけである。一国全体の面目に関わることになったら、人民の職分(やるべきこと)ではないとして、政府にのみ国を預けて、かたわらでこれを見物するだけということがあってよいだろうか。それでいいはずがない。
既に日本国の誰、イギリスの誰と、その姓名の肩書に国の名があるのであるから、その国に住んで起居眠食自由自在である権利がある。既にその権利がある以上は、必然的にそこで果たすべき職分というものがあるのだ。
昔、日本の戦国時代、駿河の今川義元が数万の兵を率いて織田信長を攻めようとした。このとき、信長は桶狭間に伏兵をしかける策略を立て、今川の本陣に迫って義元の首が挙げられた。すると、駿河の軍勢は、くもの子を散らしたように戦いもせずに逃げてしまった。こうして、当時名が高かった駿河の今川政府も一瞬にして滅び、跡形も無くなってしまった。
また一方で、最近、二三年前に行われたフランスとプロイセンの戦争(普仏戦争)では、戦いが始まってすぐにフランス帝ナポレオン三世が生け捕りにされた。しかし、フランス人はこれで望みを失うばかりか、ますます奮発して防戦を行い、骨をさらし血を流して、数か月籠城して後、和睦することとなった。しかし、フランスは以前のフランスと何の変わりもなかった。
先の今川氏の始末と比べて同じように語ることなどできない。 それはどうしてなのか。駿河の人民はただ義元一人に頼るばかりで、その身はお客様のつもりで、駿河の国を我が本国と思う者もなく、一方で、フランスには報国の士民が多くて国の難を各自自分の身に引き受け、人から勧められるまでもなく自ら本国のために戦う者があった。だからこそ、このような違いが生まれたのだ。
このように考えてみれば、外国に対し自国を守るに当たって、その国人に独立の気力がある者は国を思うことが深切なのでり、独立の気力がない者は不深切ということになる。このことは、この話から類推して考えてみれば分かることである。
【解説】人頼みの責任転嫁が国をダメにする
ここの話にはピンとこなかった方が多いかもしれない。だが、これは、今まで解説で述べてきたように、時代の違いからくるやむを得ないことである。当時、日本は野蛮未開で武力も整っておらず、欧米諸国から宣戦布告されれば、明日のわが身も知れないという危機的状況だった。
だからこそ、福沢は国防の重要性を主題としながら、「独立の気力ある者こそ、国を思うこと親切である」と説いたのだ。
だが話の本筋を思い出していただきたい。最初に「目の不自由な人の行列に付き添いの人がいない」という例えもあったように、福沢は、「人頼みで責任転嫁をしていれば国はダメになる」ということが言いたいのだ。
これを現代日本にあてはめてみると、まずそもそも現在では国民の選挙によって政府が選ばれる。この上で、政府が「国民がわれわれを選んだのだから、われわれは何をしてもいい、未来に何が起きても悪いのは国民だ」と開き直り、一方で国民も、「選挙では何も変わらないから選挙には行かないし、勝手に決まった政治家どもが勝手にやることだから、未来に何が起きても政府が悪い、自分はやらかした政府を批判するだけだ」とするのならば、これは、主客どころか、日本には「お客様」しかいないことになってしまう。どこにも責任の所在がないのだ。
このくらいならば、せめて政府だけでも責任を感じる制度となるプラトンの哲人政治や王政復古の君主制、あるいは、孔子の牧家的理想政治のほうが民主主義よりまだマシということになる。
例えば、ソクラテスやプラトンの活躍した古代ギリシアの都市国家アテナは、直接民主主義制度であった。けれど、それでも、プラトンはその主著国家〈上〉 (岩波文庫)や『法律』で民主主義の欠点を指摘し、民主主義を否定した。「民衆の投票で政治を決めるということにすると、それは必ずや人気投票になり、社会を治める能力のある人ではなく、人々へのご機嫌取りがうまいだけのお調子者が選ばれることになる」と。
現代の心ある人の中には、昨今のトランプ大統領の大衆政治、ポピュリズムを危惧する方もあるだろう。しかし、これはまさに、二千年以上も前にプラトンが指摘した民主主義の欠点である。
いかに人類が進歩していないか、ということに興味を持たれた方は、ぜひともプラトンを読まれたい。アマゾンを確認したところ『法律』は絶版となっているようだった。プラトンーソクラテスを抑えるという意味では、『国家』と『ソクラテスの弁明・クリトン』の二タイトルが必須、『国家』にはかの有名な次元論の先駆でもある「イデア論」(イデアは英語のideaーアイディアの語源)についても語られている。