呉子より 不和こそ最大の敵
『呉子』の一部を公開します。
以下のような構成で、40程度の章が収録されている完訳版です。
図国第一 《第二章 不和こそ最大の敵》
◆書き下し文◆ (書き下し文は読み飛ばしても構いません。)
呉子(ごし)曰(いわ)く、昔の国を図(はか)る者は、必ず先に百姓を教えて万民に親しむ。
不和には四有り。
国において不和あれば、以(も)て軍を出すべからず。軍において不和あれば、以て陣(じん)を出すべからず。陣において不和あれば、以て進み戦うべからず。戦いにおいて不和あれば、以て戦いを決すべからず。
是(ここ)を以て有道の主は、将(まさ)に其(そ)の民を用(もち)いんとするに、先ず和して大事を造(な)す。其の私謀(しぼう)を敢(あ)えて信ぜず。必ず祖廟(そびょう)に告げ、元亀(げんき)を啓(ひら)いて、天時に参(まじ)え、吉にして後挙ぐ。
民、君の其の命を愛するを知り、其の死を惜(お)しまず。若(も)し此(こ)こにありて之とともに難に臨めば、則ち士は進み死ぬを以て栄と為(な)し、退(ひ)きて生くるを辱(はじ)と為す。
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◆現代語訳◆
昔、国のことを考える者は、必ず最初に一般庶民を教え、万民に親しむようにした。
(なぜなら、国を存続させるために障害となる)四つの不和というものがあるからだ。
国において不和があるならば、軍を出してはならない。軍の中に不和があるならば、陣を敷いてはならない。陣において不和があるならば、戦ってはならない。戦いの内に不和があるのならば、戦いを決しようとしてはならない。
このようなわけであるから、物事の道理をわきまえた有道の君主は、これから民衆を用いようとする時、先に民衆と和してから大事をなそうとするのである。
君主はいやしくも自分の考えが正しいものとは思わない。だから必ず先祖代々の墓にこれを報告する。また、高価な亀の甲羅を割る占いをして、天の時にこれを問い質(ただ)し、吉(得るところがある)という結果が出てから挙兵するのだ。
民衆は、(君主がこのように慎重であることを見て、)自分たちの命を愛している事を知り、(この君主のために)自らの死を惜しまなくなる。もし、このようになってからこの民衆たちと行動を共にすれば、難局に臨んで、士は進み死ぬことを自分の栄誉とし、逃げて生きることを己の恥とするであろう。
◆解説◆
この章で気になる文節は、「戦いにおいて不和あれば、以て戦いを決すべからず」の部分でしょう。「ああ、敵との戦いの中にも、和と不和があって、戦いに違和感があったら無闇に勝負を決めようとしてはならないのか」と、何かとても役に立つことを知った気分になります。
しかし、このようなことに満足しているようでは、『呉子』をしっかり読み取ったとは言えません。なぜなら、そもそも、ここで呉起が最も強調していることは、「国において不和あれば、以て軍を出すべからず」ということだからです。このことは、本文の冒頭と後半に、民衆とのことが書かれていることからも明白なことです。
また、そもそも、国に不和があれば、その後の行軍でも、陣立てでも、戦いの中にも、必ず不和が生じてくるのです。「物に本末有り。事に終始あり。先後する所を知れば則ち道に近し」(物の道理には根本と末端があり、何事にも始めと終りがある。何が先で何が後かを知ることができれば、道は近いというものだ)とは、儒学の経典『大学』の一節です。
組織戦であれば、そもそもその組織に不和があれば、後々どんどんその不和が大きくなるのであるし、仮に個人戦としても体調に不和があれば、それは大きくなって戦いの不和、結果としての敗北を生むのです。
何事においても、根本と始めを見極めることが重要です。根本と始めいかんによっては、勝敗が既に決していることもあるのです。よく考えなければなりません。
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