平田 圭吾のページ

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『日本近代史』 (ちくま新書) を読んで

新書にしてはかなり分厚く、普通のほぼ倍の450pの力作。
著者の方は、長年日本近代史を研究されてきた方で、この本を書き上げた時には75才。東大の名誉教授という肩書なのだが、この本を読むと、尋常ならざる研究を積んでこられたこと、またその名誉に相応しい方なのだとよく分かる。
言うまでもないが良著であり、450pという大著であるにもかかわらず、よくこの紙幅にこれだけのことを書き収めていただけたものだと思える本。

「詳しい」歴史観により書かれた本

それで、まずは恒例の歴史観についてなのだが、これはまさに、「長年研究を積まれた方」にしか持ち得ないものだと思った。つまり、とても「詳しい」のだ。

 

2017年の衆議院総選挙に例えると

その「詳しい」というのがどういうことか、なるべく分かりやすく説明すると、例えば、2017年の衆議院選は、自民党の大勝だった。これを遠くから見れば、「世界経済が堅調だったことと、アベノミクスで景気が回復したこと」により、自民党が大勝だったということになるだろう。百年後の日本人でもそう思うだろうし、海外の人も大多数はそう思っているだろうし、日本の中でもそういったことに疎い人はそのような理解に違いない。
なぜなら、このように理解するのが、ごく自然で、かつ非常に分かりやすいからだ。

しかし、実態は少し違う。投票日の台風という与党側を利する悪天候に加えて、与党自民党を利する小選挙区制と野党勢力の分裂が、今回の自民の大勝をもたらしたのだ。だから、景気の好調だけが自民党大勝の原因だというのは誤解である。

このように言えば、私の言いたい歴史観も理解していただけるのではないか。つまり、尊王攘夷派が決起したのが明治維新ではなく、原敬が初の平民宰相になったことが大正デモクラシーではなく、軍部がまるごと暴走したのが第2次大戦の勃発なのではない。実際はもっと複雑な因果関係があるのだ。

 

一般的解釈とは違うかも

この本の著述に沿って、この歴史観による日本の近代史を簡単に述べていく。もちろん、因果関係が詳しいというのがこの本の特色であるからには、要約されたここの記述を読んで「それは(一般的解釈とは)違う」と思われるような点は、きっと多いと思う。しかし、これは私の意見ではなく、この著者の尋常ならざる研究の結果導き出されたものであるからには、是非ともこの著書を読んでその「違う」というわだかまりを消していただきたい。

また、この本が書かれたのは、東日本大震災の直後ほどである。はっきりとは書かれていないが、民主党政権への期待と、その期待を裏切られた失望がいたる所に見える。さらに、熱烈な自民党支持者の方は、この本を読むと、自民党を批判されているようで嫌な思いをするかもしれないことも付け加えておきたい。

 

 

明治維新

第一章 改革 1857-1863 (公武合体)(~~)は一般的な歴史解釈
第二章 革命 1863-1871 (尊王倒幕)

この期間について一言で言えば、「西郷隆盛が主役」である。薩摩藩西郷隆盛の「合従連衡策」が明治維新を実質的に動かしていたとするのだ。西郷隆盛の好きな人は、非常に面白く読めると思う。
また、明治維新と言うと、「尊皇攘夷の志士たちが明治維新を達成した」と要約される。しかし、「尊皇」は分かるとして、「攘夷」とは、「外国を払いのける」という意味であり、明治維新の立役者となった薩摩藩がイギリスと通商していたことと矛盾する。これはおかしいとだいぶ前から疑問に思っていた。だが、この本には、その答えがあった。

つまり、明治維新は「尊皇攘夷VS佐幕開国」という二極の戦いでなく、尊皇・攘夷・佐幕・開国というそれぞれの思想が複雑に入り乱れた、複数勢力での戦いだったのだ。だから、「尊皇攘夷の志士」が必ずしも「維新の志士」ではないし、幕府内にも「体制内改革派」として、少なからぬ「維新の志士」がいたわけである。
それで、この複数勢力を結集したのが西郷隆盛であり、その具体的な策が「合従(藩の代表たる大名が連携)連衡(各藩下級武士同志での連携)」であったのである。この本の説明ならば、今まで疑問に思っていたことも非常に腑に落ちると納得できた。

 

明治時代

第三章 建設 1871-1880 (殖産興業)

この時代は、新しい支配体制をまさに建設する時期であったが、日本では「富国強兵」の殖産興業が推し進められたというのが一般的な理解である。基本的には、明治維新の功労者が日本の行く末を建設していったということで間違いないが、それだけの理解だと、政権を追われた西郷隆盛板垣退助などの主要人物に関して説明ができない。
そこでこの本では、「富国強兵」「公議輿論」という有名な語句によって、次の四つの派閥の動きとして、この時代を理解している。つまり、富国派・薩摩藩大久保利通、強兵派・西郷隆盛、公議(憲法)派・長州藩木戸孝允輿論(議会)派・土佐藩板垣退助という四派閥である。
経緯として、大久保と木戸は、岩倉使節団として海外を歴訪するのだが、その間に、西郷と板垣が征韓論を主張するようになり、結局、西郷は西南戦争を起こし、板垣は下野して自由民権運動を繰り広げていくことになる。
明治維新では、君子としか言いようのない活躍をした西郷隆盛であったが、西南戦争は実に愚の骨頂であった。西南戦争のために発行された不換紙幣(国債のようなもの)がその後の日本を長きに渡って苦しめるのだ。また、どうして西郷がそんな愚かになったかと言えば、一重に、自分に付き随う者だけと田舎にこもってしまったからだろうと思う。

当時は、通信の便もなかったのに、田舎にこもれば、情報は当然偏ったものしか入ってこない。しかも、西郷を慕う人は、一本義の通った軍人ばかりで、殖産興業と謳いながら実質商社と成り下がり、軍事をほっぽりだしてしまった明治政府には少なからぬ不満があったのだ。中央との連絡を断ち、このような不満分子の愚痴ばかり聞いていれば、いかに君子と言えど、その目も心も曇ってしまう。

この点は、実に明治政府の手落ちとして、残念に思うところである。後のファシズム台頭のところでも重要になってくるが、だいたい、不満分子のはけ口は敢えて残さなければ、不満勢力が結集して良からぬことをするのは自明の理なのだ。人手不足だったのかもしれないが、この点以外も含めて、この時代の明治政府は実に稚拙と思った。

 

第四章 運用 1880-1893 (明治立憲制)

この時代では明治憲法をどのようなものにするかが焦点となるが、立憲君主制井上毅ら藩閥元老勢力、拒否権型議員制度の板垣退助自由党勢力、議院内閣制の大隈重信福沢諭吉らの知識人勢力という、三つ巴で憲法が制定されていくことになる。
簡単に言えば、明治十四年の政変で大隈らが失脚し、立憲君主拒否権型議会の憲法が発布されることとなる。ここで古典として紹介されているのが、「明治憲法成立史」稲田正次著であるが、いつか読んでみたい。
それで、この後に、議会政治が行われるわけであるが、拒否権型の議会であるから、藩閥元老勢力ら行政・官僚の「超然主義」的立案を、議会がひたすら否定するという、ねじれ国会どころではない、何も決まらない政治が数年続いてしまう。あまりにも決まらないということで、これは天皇仲裁の元、和協の詔勅で議会の地位が上昇させ、一時的に問題が解決する。しかし、この打開案が産んだ結果は、現在の日本にも続く、「官民一体」「官僚と政治の癒着」であった。

 

大正

第五章 再編 1894-1924 (大正デモクラシー

この時代にも、基本的には、藩閥元老勢力(伊藤博文山縣有朋など)・自由党(政友会)勢力(星亨・原敬高橋是清など支持基盤は地方紳士)・進歩党(憲政会)勢力(大隈重信福沢諭吉など支持基盤は商工業者)という三つ巴の政局争いが、民衆の生活ともつながりながら、歴史を織り成していく。
この本には詳しく説明がなかったのだが、大日本帝国憲法において内閣の任命権は、完全に「密室」にあったようだ。つまり、天皇を中心とした藩閥元老勢力がその任命権を持っていたのである。しかし、世論や当時の勢力図を無視するわけにもいかず、藩閥元老勢力・官僚と、自由党勢力が結託し、内閣を順繰りで回すなど、実に不安定な政権運営をしている。今の日本で内閣が長続きしないのは、議会開設も間もないこのころからのことだったのかと、非常に納得できた。
また、大正デモクラシーの代名詞と認識されている初の平民宰相の原敬は、デモを警察力で鎮圧したり、唐突な解散総選挙を行うことで、普通選挙制の実施を引き伸ばしたり、二大政党制にならないように策略を巡らしたりしている。政局運営の手法が、まるで現在の自民党としか言いようがない。しかし、ただ一点、重要な所が違っていて、この当時、政友会は平和主義であった。アメリカ追従という意味では自民党と似ているが、対外政策は国際秩序重視で、帝国主義政策からの脱却を旨としていたのだ。しかし、敵対党勢力である憲政会が、有名な幣原外交で方針転換をすることにより、方針を変えてしまう。

 

昭和

第六章 危機 1924-1937 (昭和ファシズム

このころになると、二大政党制がやっと実現しだして、憲政会が政権を獲得し、普通選挙が実施された。しかし、幣原外交での方針転換を機に、政友会(積極経済・帝国主義的対外政策・強権的)、憲政会(消極経済・世界秩序重視の穏健対外政策・リベラル)という、どこかで見たような二大政党の構図となる。
また、この辺りから、政友会の方針転換で勢いづいた北一輝などが、ファッショ思想を広めていく。悪名高い治安維持法は、25年に施行されるが、ファッショを制限するものでなく、ロシア革命に刺激された社会主義勢力の実質活動を制限することであった。
さらに、藩閥元老勢力は、実質的に軍部と同義になっていくのだが、軍部も内部で、「統制派(穏健)」と「皇道派(急進)」に分裂していく。
憲政会内部、政友会内部にも、それぞれ二大派閥ができるなど、主要勢力は少なくとも10の小勢力へと「小きざみ」になる。
青年将校五・一五事件二・二六事件などの危機を乗り越えるために、挙国一致内閣なども設置されるが、危機が過ぎると、「小きざみ」な勢力が互いに反目するようになる。
こうして満州事変が起こり、崩壊の時代、大政翼賛会の時代に突入するわけだが、この崩壊の時代を描かずして、この本は獲麟を迎える。

 

個人的な感想や考察

私が思うに、崩壊の時代に突入してしまったのは、お互いがお互いを排斥し合い、お互いの利害を越えて調整できるような君子がいなかったことが原因であると思う。大局を見て、自身の利害や拘りに捕らわれず、当時の日本を調整できる君子が、それぞれの「小きざみ」な勢力で代表となり力を持っていれば、もう少しマシな歴史があったのかもしれない。また、社会主義運動を制限したのも問題であったと思う。そもそも、どの時代にも、過激な行動や過激思想でしか自分の不満を発散できない人は一定数出てくるのだ。だから、社会主義勢力を活かしていれば、そちらに過激な人が流れ、少なくとも、過激な人がファッショ思想に一極集中することもなかったであろう。

最近は、右翼VS左翼、リベラルVS改憲、というような、お互いがお互いを排斥する動きがいたるところにある。私から見ると、どちらも、「少しも相手に譲らない」という気構えにしか見えない。左翼が勝利しても、右翼が勝利しても、リベラルが勝利しても、改憲が勝利しても、日本の未来は暗いのではないか。

あと、中国との比較で、このころ、列強に翻弄され続けた中国に比べて、いかに日本が外交的に煩わされなかったかということも、非常に興味深かった。

 

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『金融政策入門』 (岩波新書) を読んで

入門というだけあって、金融について基礎から説いた本であるが、難しい部類に入る本と思う。

難しいが中立性の高い良著

日経新聞を隅々まで毎日読んでいるレベルの人か、あるいは大学で経済学部を出て学力を維持している人、事実国債などへの「投機」に身を投じている人でないと読みこなせないかもしれない。
私は上記のどれにも該当しないけど、ある程度他の本を読んでおり、それなりの知識があったので、なんとか読み切ることができた。

本の内容としては、アベノミクスが発効したばかりの当時に、アベノミクスの実態について解明する本である。筆致としてはかなり中立を維持しているため、余計に分かりにくい。というのも、金融や経済の理論は、相反するような理論が同時に成立することになっているからである。
だから、アベノミクス称賛でなく、かと言って、アベノミクスを卑下するわけでもなく、どっちなのか分からないという点で、あまり受け容れられない書き方と言える。しかし、普通に考えたら矛盾だらけで腑に落ちない理論が横行しているのが経済学や金融工学の世界であり、そのような前提の上でなら、これは間違いなく良著の部類に入るだろう。しかし、それでも、意味が分からなくてかなりイライラするであろうということだけは強調しておきたい。

 

アベノミクスとはどんなものだったのか

これで、この本の中立性については分かっていただけたものと思うが、その上で、アベノミクスはどうなのか、という話である。一言で言ってしまえば、この本が書かれた時、つまり四年前に、既に問題点はほぼ出ている。だから、「ほれ見ろ言わんこっちゃない」というのが現状であるとしか言いようがない。その中でも特に、最近耳にするようになった「アベノミクスの出口戦略」についてだが、正直なところ危機的状況にまで達しているものと思う。折しも選挙であるが、今回の選挙は自民党に譲って、自民党にしっかりとアベノミクスの尻拭いをさせたほうがいいとさえ思うほど、アベノミクスの後始末は大変な状況になることが予想される。

そのことを説明しようと思うのだが、恐るべき長さになると思うので、以下の記事については、覚悟して読んでいただきたい。

 

金融が難しいのは「流動性」と「流通量」があるから

まず、財政学を理解する上で重要なのは、「通貨としての流動性」について理解することである。
われわれは現金を使うのだが、現金だったら大体誰でも商品と取り替えてくれる。しかし、国債は現金より「流動性が低い」ために、誰もが商品と取り替えてくれるわけではない。これが通貨としての流動性である。

次に、お金にも量がある。例えば、おはじきで子どもたちが遊んでいて、その子どもたちのグループには、おはじきが全部で10個しかなかったとする。こういった場合に、おはじき遊びはあまり流行らないのは言うまでもないだろう。おはじきが10個しかなければ、誰か一人が飛び抜けてうまければ、この子が10個全部を独占してしまう可能性があるからだ。しかし、おはじきがそのグループに100個くらいあれば、おはじき遊びもかなり活発になる可能性がある。
これと同じ理論で、最も流動性の高い「日本銀行券(現金)」が「金融市場」にたくさんあれば、「経済」も活発化するだろう。というのがアベノミクスマネタリスト、リフレ派)の理論である。だから、流動性の低い国債を日銀が買受け、その代わりに日本銀行券(現金)を増やす、つまり通貨の流通量を増やすということなのだ。

 

流動性を高め流通量を増やすのがアベノミクスだが

しかし、これは少し考えればわかることで、因果関係があやふやな理論である。というのも、子どもたちがおはじき遊びに飽きてしまえば、いくらおはじきがたくさんあったところで、おはじき遊びは流行らないからだ。経済に当てはめれば、銀行に行けばいくらでもお金を貸してもらえると言って、必ずお金を借りる人が増えて経済が活発になる、というわけではない。

しかし、これを「異次元の金融緩和」と言ってゴリ押ししているのがアベノミクスなのだ。だが、これをおはじきで言えば、「異次元のおはじきの大人買い」をしているだけであって、かっこよく聞こえるだけで実のないこととも言える。

これでアベノミクスの概要は分かっていただけたものと思う。次に、どうして出口戦略が必要なのかということについて説明したい。

日銀はおはじきを増やすべく、国債大人買いしてきたわけであるが、その額は、既に400兆円ほどにもなっている。日本が発行した国債は、日銀が40%ほども所有しているのだ。もっと言うと、国債を発行した時に、国債を買っているのはもはや日銀くらいしかないのである。
この時点で、ほとんどの人は意味が分からなくなると思うけど、これは自分の借金(国債)を自分で引き受けている(日銀)と言っても過言ではない。予算編成における歳出で歳入から足らない部分は、「日銀が大半を持っていても、日本はいつか返してくれる」という「信頼感」のみで成り立っているのだ。

 

いくらおかしくてもみんな良ければそれでいいのが金融

しかし、どう考えてもこの時点でおかしい。自分の借金を自分で引き受けるとはどういったことか?正直私も意味が分からない。だが、ここが不思議なところで、多くの人が「これでもいい、なんとかなる」とさえ思っていれば、この不条理も成り立ってしまうのが現在の財政なのだ。
とは言うものの、もちろん限界もある。多くの人が「これはおかしい、日本は信用できない」となると、戦前のドイツのように、ハイパーインフレや、恐慌(デプレッション)に陥ってしまう。どんな悲劇が待ち受けているかは言うまでもない。
それで、このラインがどこか誰にも分かっていないというのも恐ろしい話なのだ。このまま、日銀がおはじきの大人買いを続けて、全部の国債を日銀が引き受けても、何も起きない可能性はあるし、逆に、明日にでもデプレッション・恐慌が起きる可能性もある。

 

アベノミクスの出口戦略の難しさ

このように説明すれば、誰もが「おはじきの大人買いはやめようよ、そんなことしていると破産しちゃうよ。やめようよ」と言いたくなると思う。私もそう思う。しかし、ここがさらに難しい所で、おはじきの大人買いをやめてしまうと、今度は、みんながおはじきをどんな安値でも売ろうとしてしまうのだ。おはじきは買う人がいるから値が上がるのであって、おはじきを爆買していていた人が、急におはじきを買わなくなれば、当然におはじきの値は下がる。値が下がれば、価値はない。じゃあ少しでも高いうちに全部売ってしまおう、というのが偽らざる人情なのだ。
だから、日銀が国債の買い入れをいきなりやめると、国債の値段が暴落することとなってしまう。国債が暴落するということは、円が外国為替で暴落することにつながり、円が暴落すれば石油の値段が相対的に高くなって、物価が急上昇することになる。物価が急上昇すれば、これはハイパーインフレであり、戦前ドイツの札束を積み上げる光景が、日本で再現されてしまう。

本当は以上の話に、金利の話も絡んできてさらに話は複雑なのだけど、語弊を恐れず簡単に説明すると、以上のようなものが、アベノミクスであるのだ。

 

現状はどうなっているのか

ところで、現在の日銀の国債買い入れ額は、年間ほぼ100兆円である。この本が書かれた当時、日銀の債権所有はほぼ100兆円であったのだが、四年後の現在400兆円ほど、ということで、大体計算が合う。それで、買い入れのペースを落とすこともできないのだから、少なくとも6年後には、日銀だけが国債を所有していることになってしまう。ちなみに、欧米の中央銀行との比較もこの本には詳しく書かれているのだけど、他の国はほぼ全国債の10~20%以内で保有率を留めており、アベノミクスは実に「空前絶後の異次元の状態」にあるわけである。

確かに、イギリスのBOEは現在、日本と同じ程の40%の国債を抱えているようだけど、伸び率(年間購入額と総額の比率)が違うようである。また、日本の国債総額は、GDPの2倍近くであり、GDPの80%のイギリス国債とは条件が違う。

この上で、日本の水準がやばいのかどうかは分からないけれど、もう既に「信頼感」しか担保がないのだから、私を含め、多くの人が「日本はやばい、アベノミクスで死ぬ」と言い出せば、本当に明日にでもデプレッションが起こる可能性がある。アベノミクスを声高に批判する人が少ないのもこれが理由であろう。 つまり、さりげなく「出口戦略の必要性を訴える」程度のことしかできないのだ。

だから、敢えて私は言おう。

「日本最高!まだ大丈夫だよ」(笑)

 

もしかしたら「解散騒動」とも関係している

ちなみに、最近の動向としては、アメリカの中央銀行FRBが、利上げ、つまりはアベノミクスと反対の動きをし始めている。これは放置しておくと、デプレッションにもつながりかねない円安を招く可能性がある。というのも、金利の高いドル建てで、資金を運用しようとする人が増えるからだ。

また、日銀の国債保有総額も10月を境に減り始めたそうである。案外、今回(2017.10)の解散は、こういったことに配慮してのことかもしれない。つまり、日銀の方向転換をマスコミ全部が騒ぎ出せば、デプレッションの可能性が高まる。しかし、選挙で騒いでいれば、このニュースは少なくとも陰になる。

まあ、安倍氏におかれましては、自分でまいた種であるからには、キッチリと尻拭いしていただきたい。そういえば、解散表明の記者会見では、「アベノミクスが必要だったこと」を必死に強調していた。その辺の伏線も考えると、かなり信憑性の高い話と思う。つまり、アベノミクスは必要だった、だからこれから金融混乱が起こっても、アベノミクスをやり出したこと自体は悪くなかったのだよ、というロジックの伏線という意味である。残念なことには、ただの言い逃れ、あるいは自分の心の中だけでの責任回避にしかならないのだが。

 

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『袁世凱――現代中国の出発 』(岩波新書) を読んで

この本も「李鴻章」と同じような歴史観のもとに、実質的に、李鴻章の後継者となった袁世凱についてまとめたものとなっている。

妾8人のハーレム状態で三日皇帝の袁世凱

この袁世凱も日本で知っている人はほとんどいないだろう。ただ、この人物に関しては、簡単なエピソードを紹介することで、直ちに興味を持っていただけるものと思う。

そのエピソードとは、正妻1人に妾8人、この上、赴任先だった朝鮮からいくらかの女性を本国に連れ帰った。また、晩年には、皇帝の血縁でもないのに、皇帝即位を宣言し、結局は部下に裏切られて数ヶ月で皇帝即位を撤回した。
いろいろ思う所は多いであろうと思うが、かなり関心は持っていただけたものと思う。

さて、この袁世凱であるが、やはり嫌いな歴史的人物として挙げられることが多いらしい。しかし、私はもう好悪の感情を越えてしまったのか、あるいは、死んでいる人間に敢えて好悪の感情を寄せるのは無駄だと思ってるのか、袁世凱に対して何とも思わない。ただ、同時代に近い所にいたとしたら、やむを得ず敵対視するか、あるいは、危険人物として関わらないか、のどちらかであっただろうとは思う。ちなみに、袁世凱の写真が所々にあるのだが、典型的な三白眼の持ち主である。人相について少し知っている人ならば、すぐに意味が分かるだろう。

 

袁世凱の軌跡

袁世凱は、そもそも、地元でも抜群の名家の生まれで、そのころの中国の常で、例外に漏れず、科挙の英才教育を受けていた。しかし、なかなか試験がうまくいかず、養父が没したのを機に

「大丈夫まさに命を国防にいたし、内を安んじ外を攘(はら)うべし、いずくんぞ齷齪(あくせく)、筆硯(ひっけん)の間に困(くる)しみ、自ら光陰を誤つべけんや」

と言って、科挙の勉強をやめてしまったらしい。意味としては、「科挙の勉強なんてくだらねぇ、外国の脅威が迫っているのに、時間のムダもいいところだぜ」といった具合になる。

出世のキッカケは、朝鮮でのクーデターをほぼ独断で鎮圧したことだった。その後、10年くらい朝鮮に清の使節として軍とともに駐屯している。また、朝鮮の東学クーデターを機に勃発した日清戦争の折には、すぐに本国に逃げ帰っている。ただ、さすがに自分が使節として駐屯していた朝鮮での戦争だから、補給線の任務には就いていたようだ。だが、敗戦とともに、地位は無くなることになる。

しかし、その後、過去の軍務での実績などを買われて、新式装備を揃えた軍隊の訓練の任務に就くことになる。当時の中国では、軍隊は、国のものでありながら、首領、ここで言うと袁世凱のものでもあった。だから、指揮権は袁世凱にあり、これがまた彼の運命を翻弄することになる。西太后暗殺のクーデターに巻き込まれてしまうのだ。しかし、このクーデターは失敗し、うまく立ち回った袁世凱は、西太后などからむしろ信頼され、その後、李鴻章の実質的な後継者となって、地方大官として影響力を及ぼすようになった。

しかし、西太后の死と共に、中央集権の機運が高まり、地方大官だった袁世凱はその標的となって失脚する。その後数年間、隠遁生活を送るのだが、今度は、革命派による辛亥革命が起こり、清朝の存亡に関わる事態に発展してしまう。この時、清朝の要職は、いわば、皇帝一族のボンボンで占められていて、革命軍を鎮圧することができなかった。というか、清朝は、ずっと地方大官に実務を任せていたのであり、この非常時を回収できなかったは当然といえば、当然のことだった。こうして、清朝袁世凱に頼らざるを得なくなり、袁世凱が軍を動かし、革命派と「清朝の人間を全部下ろす」という条件で和睦する。この後に、イギリスの後援を得た袁世凱が皇帝即位を宣言することになる。しかし、冒頭にも述べたように、部下に裏切られて撤回、そのすぐ後に病気によってこの世を去ることになる。

 

袁世凱曹操に似ている

ざっと追ったのだが、袁世凱は、どうやら、科挙の勉強をやめて、歴史書や兵法書を読んでいたようだ。結局はここが、軍の統率という彼の特技となったのだし、まったく学問をやめたわけでなかったのは明らかだ。

また、彼にまつわるエピソードとして、「手を握って別れを惜しんだり、客がいる時だけはともに美酒を飲んだり」していたらしい。この、人を過剰とも思えるほどもてなす行動は、実は三国志の英雄曹操とかなりかぶる行動でもある。他にも曹操に共通する部分は多い。それで、袁世凱曹操に似ているなぁと最初思ったのだが、むしろ、袁世凱曹操を真似ていたのだろうなぁと思った。いつからかは分からないけれど、自分と境遇の似た英雄である曹操、悪役にも仕立てられる曹操に自分を重ねていたのではないかなと思った。これも、歴史書を読んでいたのだろうという根拠である。

 

親日台湾と反日朝鮮のルーツはこの時代にもある

あと、非常に興味深く思ったのは、このころの朝鮮と台湾に対する日本の出兵である。現在、朝鮮は基本反日、台湾は基本親日という感じなのだが、どちらにもほぼ同時期に、日本が出兵を行っているのである。この時、台湾は清から見捨てらるような格好で日本軍が来た、のに対して、朝鮮は清軍だけを頼ったはずが日本軍まで来てしまった。出兵の契機は違うものの、招かざる客かそうでないのか、というこの一見些細な違いは、現在の国民感情につながっている可能性も高いだろう。

ちなみに、中国は、日本に対して、元寇、つまり軍事的脅威というイメージが根強く残っていたらしい。李鴻章袁世凱の時代に、日本は、中国にとって軍事的なライバルという位置づけである。関心すべきは、そのように敵視しながらも、最終的には、日本への留学を奨励し、日本を見習おうとしたことだ。言うまでもないが、「敵と関わるな」「鬼畜米英」といった偏狭な考え方は、やはり損が多いということだろう。歴史を少し詳しく勉強していれば、「敵味方で一切交流なし」というのは、むしろ稀な例であることは誰でも分かると思う。現在のネット上での「ネトウヨVSパヨク」についても歴史を参考に考えていただければと思う。

 

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