平田 圭吾のページ

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昭和天皇 側近たちの戦争 (歴史文化ライブラリー)吉川弘文館 を読んで

読みやすくていい本だったと思う。
内容としてはタイトルの通りに、天皇側近を中心にして、大正末期から太平洋戦争終戦までの歴史を描いた本。

 

戦前の立ち位置不明な政治機関

昭和史について本を読んでいると、現代の常識や感覚で測りかねるのに、当時重きをなしていたと思われる政治機関がいくつかある。
その中でも特に際立っているのが、天皇(側近)・元老・枢密院だ。軍や統帥部は現代にはないけど、何となく役割や影響力をイメージできる。けれど、先に挙げた三つの機関だけは、やっぱりイメージが湧いてこない。
しかし、この本を読むと、少なくとも、天皇と元老の政治的立ち位置や、役割というものが分かってくる。

 

天皇と側近

まず、この本のタイトルにもなっている側近であるが、重役は三人いる。天皇の秘書官である内大臣、宮中を取り仕切る宮内相、天皇の身の回りの世話をする侍従長である。発言力などの強さも、今挙げた通りの順番である。特に、内大臣は「輔弼(ほひつ)」の職務を負っており、結構影響力の強い立場である。

 

元老

次に、元老であるが、これは明治維新の元勲であり、この本ではほぼ西園寺公望のみしか出てこない。元老は政治的影響力がそれなりにはあるのだけど、職務はない。会社で言えば相談役や会長という立ち位置である。ただ、内閣総辞職や、首相の選定、組閣人事についてはかなり強い影響力というか、ほぼ決定権を持っており、この元老が取りまとめた発案を天皇に伝えるのが内大臣の役目ということになる。天皇はこの内大臣の言葉を元に、実質は形上ということになるのだけど、組閣の大命を下す。

 

戦争への道

戦争への道という関わりで言うと、天皇も側近も元老も、ほぼ一貫して欧米協調路線で外交重視派であった。しかし、何か狂い出すのは、やはり時期的に二・二六事件の前後ということになる。この時に、昭和天皇摂政の時から近く仕えていた牧野内大臣が辞職を余儀なくされる。牧野内大臣は、側近を取りまとめて、かなり緊密な連携を築いていたし、よくやっていたと思われる。だが、世間の批判の矛先が、牧野ら側近に向いてしまったのだ。このとき、二・二六事件を起こした人々や世間の心理状態としては、「我らの天皇英米協調などという軟弱な考えのはずがない。これは側近や重臣が天皇をそそのかしているのだ」という、まさに、認知不協和状態であったと言える。

こうして、側近人事は一新されるのだけど、この後に側近の連携は崩れ、しかも、組閣人事も軍部に配慮したものにせざるを得ないというような糞詰まりに陥っていく。しかし、そのような状況を打破して、英米協調、枢軸決裂に向かおうと、側近や元老が手を尽くすが、これもうまくいかない。

 

天皇は政治利用されなかった

とはいえ、このうまくいかなかった一因には、天皇を政治利用しなかったという側面もあった。なぜなら、もし仮に、天皇が御前会議を開き、あるいは下命し、協調路線を打ち出したにも関わらず、それが失敗した場合には、天皇の権威失墜という取り返しのつかない事態が待っていたからである。側近、重臣らとしては、天皇の意志を曲げることになったとしても「とにかく天皇を守り通す」という心理があったのである。現在に象徴天皇制が続いているのも、この時の重臣や側近らの配慮があったからだとは思う。いずれにせよ、二・二六事件後から終戦までの昭和天皇のお気持ちを慮れば、「さぞかしおつらかったんだろうなぁ」としか言えない。

 

人が悪いのか時代が悪いのか

最後、この本は、側近に焦点を当てて書かれた本なので、その点から、全体をまとめて言えることは、時代が悪かったから側近や重臣の質も落ちたのか、あるいは、側近や重臣の質が落ちたから世の中が悪くなったのか、ということである。側近で言えば、牧野内大臣の後任者は明らかに役不足であったし、二度も首相を勤めた重臣の近衛文麿も、大人物とはとても言えない。行動に一貫性が感じられず、信念がほぼ見えないからだ。
人が悪くなるから全て悪くなるのか、全てが悪いから人も悪くなるのか。卵が先か鶏が先か。卵を食べれば鶏は生まれなかったのか。智者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、とありたいものである。

 

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