平田 圭吾のページ

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『李鴻章――東アジアの近代 』(岩波新書)を読んで

 前に「近代中国史」を読んで、その後の中国の歴史が気になったのと、孫文の伝記を読んで、どうもこの李鴻章という人と、袁世凱という人が、当時の中国を代表する政治家であったようなので、そのような意味で興味が湧いて読んでみた。

歴史観

本の構成としては、基本は中国の歴史が主軸で、李鴻章がそこにどのように関わっていったのかという感じになっている。この微妙な表現についてはこの本の著者の岡本氏の歴史観とも関係がある。

まずはその歴史観について、例え話で説明したい。

まず、だいたい、多くの人は、「誰かがいたから、コイツがこのようなことを言ったから、こうなってしまった」という歴史解釈をする。確かに分かりやすい。コイツが悪い、コイツが良かった。実に単純明快で分かりやすい。
しかし、歴史は往々にして、誰かがいたからと言って変わるものではない。

 

ヒトラーがいなくても戦争は起きていた

例えば、ナチスにしても、私はヒトラーが存在してなかったとしても、遅かれ早かれ、第二次大戦は起きていたものと思う。というのも、当時のドイツは、第一次大戦で負けて植民地が無く、賠償金の問題もあったのに、世界恐慌を何とかしなければならなかった。ドイツのインフレで札束を積み上げた写真は皆の知る所であるが、そのような状況にも関わらず、他の列強は、植民地とブロック経済を始めてしまい、流れ的にドイツは思うように貿易すらできなくなってしまった。

このような状況では、ヒトラーがいなかったとしても、誰か他の人が、過激な思想で民衆を扇動し、植民地獲得と領土拡張に向けて軍事行動に出ていたことであろう。だから、ヒトラーがいなくても、恐らく第二次世界大戦は起きていただろうと言うのだ。ヒトラーはその時期を早め、規模を拡大させたかもしれないけど、ヒトラーが存在していなくても悲劇は起きていた。

後だからこそできる歴史観ではあるけど、つまり、この歴史観を簡単にまとめると、「コイツが悪い、コイツが良いという判断基準ではない歴史観」と言える。

 

李鴻章とはどんな人か

歴史観の説明が長くなってしまったけど、こういった歴史観のもとに、清朝衰亡期の政治家である李鴻章の生涯を追ったのがこの本である。

そもそも、李鴻章がどのような人かを知る人は少ないと思う。まず、日本との関わりで言うと、日清戦争を勃発させた清側の張本人ということになる。役職は北洋大臣で、簡単にいえば、地方大官である。なぜ中央省庁の人間でもない、ただの地方官が日清戦争の張本人なのかと思われるだろうが、当時の中国では、地方官の権力が強く、地方官が直接に軍の指揮権を持っていた。だから、現代日本で言うならば、東日本を統括する地方大官が、外国と戦争を始めてしまったのが日清戦争ということになる。つまり、日清戦争とは言うけれど、当時の中国の人は、「東日本が戦争始めちゃった。まあでも、西日本は直接は関係ないからとりあえずはいいや」というような認識だったことになる。中央省庁の人も、「あ~、あいつやり始めたな、事と場合では援軍を送るけど、う~ん、どうしよう」という感じだったのだ。現代日本の感覚だと意味が全然わからないと思うので、詳しくはこの本を読んでいただければと思う。

 

条約も講和も結局は力が決する

それで、本を読んでいて一番印象に残ったことは、「条約で無理に自分に有利な文言を入れても、結局は力関係が事を決する」ということだった。現代にこの道理を当てはめると、「自分に有利な労働契約を結んでも、結局は持てる者である資本家が全てを決する」ということになろうか。

李鴻章は、地方官であったが、若い頃から外国人と交渉をしており、このような経緯もあって、外国との交渉はほぼ李鴻章が担当していたらしい。というのも、時代遅れの清朝の中央機関は、そもそも国という概念が外国人と違うし、国際法については、全く意味の分からないものであったからだ。こういった経緯から、中央機関は外国から信頼されず、結局李鴻章が外国から信頼されて交渉官となっていたのだ。

だから、必然、本の内容も、交渉や条約取り決めにおける李鴻章の関わりがクローズアップされてくる。この交渉記録を読んでいると、李鴻章がかなり頑張って少しでも清朝に有利な条約を取り決めるのであるが、結局は、日本やロシア、その他列強が、自国優先でこの条約を破ってしまう。あるいは、条約は守っても、抜け道から清朝を食いつぶそうとする。

そういった意味で、講和条約や外交条約は、その場を一時的に丸く治めるだけで、将来に向かって、運命を左右するほどのものではない。あくまでも、最悪の事態を、引き伸ばしたか、早めたか、程度のものにしかなり得ない。

 

清が弱かった理由は攘夷思想

ちなみに、清が弱かった本当の理由は、一向に西洋の技術を取り入れようとしなかったことである。李鴻章の晩年であるが、義和団が徒手で西洋の重火器に立ち向かった話は有名だ。李鴻章は、自身の軍隊が西洋式の装備を揃えた軍隊であったこともあり、この清の弱さの秘訣には気がついていた。しかし、清朝の大多数は、攘夷(外敵を追い払うこと)しか頭になく、清論(清を論ずると清く論ずるを掛けている)を掲げて、その進歩的な文明までをも毛嫌いしたのだ。その結果、銃に素手でも勝てるという妄想が、多くの人を死に向かわせたし、清朝を滅亡に追い込んだ。

 

李鴻章が悪いわけではない

このように考えれば、日清戦争の敗戦の責は、李鴻章の双肩にのみあるわけではなかろう、というのがこの本の書き方でもある。ただ、世間では、李鴻章が悪いということになっていたようで、日本に来た時は、その頬を銃弾で撃ち抜かれたのに、包帯を付けてそのまま交渉したらしいし、現在でも中国ではかなり評価の低い政治家らしい。
ただ、現在中国を支配しているは、中国共産党であり、中国共産党は、革命政党である。この都合上、体制側の人間である李鴻章と、次に続く袁世凱は、そういった意味でも高く評価できないという事情もあるようだ。

続きは袁世凱の伝記ということになる。

 

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