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『昭和史講義: 最新研究で見る戦争への道 』(ちくま新書) を読んで

タイトルの通り、昭和初期から戦後間もなくまでの日本史を扱った本。
2015年7月時点での「最新研究」をもとにした、それぞれの専門分野を研究している方の15の講義が収録されている。さすがに最新研究と言うだけあって、難しい部類に入ると思う。

この本の意義

ところで、なぜ、この本の刊行に当たり、そんな15人もの研究者が必要だったのか。まずは、このことについて、この本のまえがきから、要約も交えながら引用する。

以下要約も含めた引用、引用で重要な部分は「〜〜」とする。

昭和史と一口に言っても、最近の研究は専門特化、さらに細分化に進んでおり、同じ昭和史研究をしている研究者の中でさえも、違う歴史認識を持っているということがよくある。また、2000年頃を境に、戦後五十年という節目を過ぎたことや、外交問題が発生してきたことにより、昭和史についての関心が高まりつつある。
このような流れの中で、「不正確な一般向けの昭和史本が横行し始めた。」研究者ですら、歴史認識を共有していないのに、そうでない人が認識を共有するのは難しいかもしれない。しかし、その惨状は、「俗説や伝承が何のチェックもなく横行する」ほどであり、このような状況に、「一々批判していたら時間がいくらあっても足りない有様」というのが実情である。
こういった中で、このような本を刊行することで、「複眼的思考のできるバランス感覚豊かな国民による次の時代の日本の歴史を作る」ことに幾分かはつながるだろう。

引用終わり

 

歴史著述は分類化という点で非常に難しい

幸いにして、私は今までに、昭和史に関する本を詳しく読んだことがなく、この本の内容が、どれほど「俗説や伝承の類」と相違があるのかは分からない。ただ、思ったことは、やはり歴史は複雑で難しいということであった。

この本の内部だけでも、外交史(さらに、対中国、対枢軸、対欧米、対国連の各史に分類される)・政治運動史・政局史・中国史満州史・経済史・財政史・占領史などなど。
というように、とにかく細かく分類しなければ、煩雑な歴史を、そもそも整理することができない。しかし、そのように分類すると、各分野の関連がどうしても手薄になり、同時に起こったことなのに、別のことのように著述するしかなくなってしまう。すると、当然に「複眼的思考」はできなくなってしまう。しかし、「複眼的思考」をしなければ、歴史の謎は解けない。

そういった意味でも、「通史」を著述することは非常に難しく、先日読んだ『日本近代史』 (ちくま新書)がいかによくできた本かと感心した。しかしながら、そのような「バランス感覚のある複眼的思考」が誰にでもできるはずはなく、「歴史のストーリー化」が起こる。だから、歴史著述の本は「作家」という業種の人に向いている。しかし、先のまえがきの引用にもあるように、この「作家」による「歴史著述」の危険性は明白である。図書館で作家らしき人の「お手軽な歴史本」を手に取らず、こっちを手に取ってよかったなぁと改めて思う次第である。

 

なぜ日本は第2次大戦に進んだのか

次に、あくまでもこれは、この本を読んでの私の意見であるのだけど、なんだかんだで、日本が戦争に向かった理由は、このようなものであると思う。ただし、当然、ここには分かりやすくするためのストーリー化はあるが、これはご容赦いただきたい。

やはり日本が第2次大戦に突入してしまったのは、陸軍の暴走が一番の原因であると思う。しかし、陸軍を暴走させたのにも理由がある。このことに関する一般的な大勢の意見は、明治憲法統帥権ということになるだろう。

だが、私の意見は違う。陸軍を暴走させたのは、大衆、つまり、「日本国民自身」なのだ。
というのも、ある影響力を持った歴史的人物の動きや発言を追っていくと、どこかで急に態度を妥協して戦争に向かうという「機転」がある。この「機転」に大きく関与しているのが、どう考えても「世論」や「世の雰囲気」でしかないのだ。これは、歴史資料をどのように追ったところで、「証拠」として立件できるものではない。しかし、この雰囲気というものが、重要な決定にかなりの影響力を持っていることは、自分の人生を振り返ってみれば、誰でも分かることである。

例えば、陸軍の暴走にもこういった背景がある。つまり、第一次世界大戦が終わり、平和ムードとなると、軍人はかなりないがしろにされていたらしい。「あんな悲惨な戦争の後に、軍人なんていらない」という認識が世の中に蔓延していたのだ。このため、軍服を着て街を歩くと、後ろ指をさされて笑われることもあったとか。

軍人としては文字通り命をかけ、有事に備えてお国を守っているというのに、このような扱いを受け、何も怨まないでおけようか。そんな聖人君子などほとんどいないのだ。恐らく、こういった軍人たちの「怨み」が、後の「陸軍の暴走」につながった一番の理由であろうと思う。統帥権うんぬんかんぬんは、二の次のことでしかない。

 

荀子には、「治人有りて治法なし」(この人が治めれば必ずうまくいくという治人はいるが、この法があるからといって必ずうまくいくという治法はない) とある。


法整備などの努力ももちろん必要だが、それ以上に国民の「複眼的でバランス感覚ある考え方」が最も重要なのだろうと思った。
今の世を見ると、極端な意見ばかりが目に入ってきて、実に先が思いやられる。

 

その他気づいたこと

あと、最後、この本の構成として15「講」から成っており、書いている人も全員違う。私では研究の優劣までは評価できないけれど、少なくとも、文章の巧拙はかなり目立って感じられた。中でも、この本の編者の方が担当されている、二・二六事件の部分は、かなり読みやすく、出来事の著述方法も整理されていると思った。「自分の担当は一部」と思うと、人は誰でも手を抜きがちである。だがむしろ、「比べられる」という戒慎を優先すべきなのだろうなぁと思った。そういった機会があったら気をつけたい。

 

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