「先知忠恕」あけましておめでとうございます
今週のお題「2019年の抱負」
あけましておめでとうございます^^
今年の抱負は「先知忠恕」ということにしました。
「先知」はもと『中庸』の第二十四章にある言葉です。
意味は「先に知る」となりますが、この意味は「先(ま)ず知る」「先んじて知る」の二重になります。つまり、「先に対象や相手のことを知る:事前の研究」という意味と、「先んじて後に起きることを知る:事後の予見」という意味です。
例えば、おせち料理を初めて作ろうということになった場合、前もっておせち料理のことを知ろうといろいろ調べます。これが事前の研究です。また、事前の研究をしておけば、おせち料理を作っている最中に起きそうな問題、たくさん必要で足らなくなるかもしれない調味料のことや、作った後にいつまでに食べないと腐ってしまうか、を知ることができます。これが事後の予見です。
この例えでもわかるように、「先知」とは、先にその対象を知ることで、後に起きそうなことも先んじて知るという意味になります。まさに、事前の研究が事後の予見と二重に重なってくることを表現したのが「先知」です。
次に「忠恕」です。
「忠恕」は天皇の好きな言葉(平成31年1月現在)だそうです。出典は『論語』の里仁第四で、意味は、「まごころからの思いやり」「まごころと思いやり」となります。
意味ですが、まず、「忠」は、忠臣蔵の影響や、「忠誠を誓う」という言葉が頻繁に使われることから、「立場的に目上の人に従順になる」という意味とられがちです。しかし、これは若干誤った認識です。というのも、「忠」の字を分解してみれば、「中の心」ともなるように、心中から、まごころから偽りなく、というのが本来の意味であるからです。
また、「恕」も分解してみると、「心の如(ごと)し」となります。「人の心も自分の心のように扱う」と言えば、少し意味も分かります。ですが、もっとわかりやすい端的な言葉があります。つまり、「恕」とは「己の欲せざる所人に施すことなかれ」のことです。自分の心がイヤだと思うことを基準にして、このイヤだと思う心が人にあることをよく認識する、だからこそ、自分のイヤだと思うことを人にもしないことになります。これはまさに、人の心を自分の心のように扱うことです。もっと言えば、自分以外の人を自分のようにいたわることであり、思いやりということになります。
ここまで解説してきた「先知」と「忠恕」を合わせたのが、「先知忠恕」です。「先知」のみでは、自分の心だけを基準にして、事前に研究して自分だけの利得を確保し、事後を予見して先回りしては人の足を引っ張るといったことも起きてしまうでしょう。また、「忠恕」のみでは、人の心がみな違うことを知らず、自分の好みを無理やりに押し付け、人を自分の思い通りにして支配するのとなんら変わりないという状況も起きてしまうでしょう。この意味で、「先知」と「忠恕」はどちらが抜けても片手落ちであり、先知があってこその忠恕であるし、忠恕があってこその先知ということになります。
以上のようなことを心にとめ、今年一年を過ごしたいと思っております。
まだまだ至らずですが、よろしくお願いします。