平田 圭吾のページ

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『植物は<知性>をもっている―20の感覚で思考する生命システム』(NHK出版) を読んで

わかりやすくて面白い本だった。

 

植物に関心があるほど面白い

タイトルは衝撃的である。けれど、実は、これは「知性」の定義次第の話であって、植物が好きで、植物をよく観察している人にとっては当たり前のことを言っていたように思われる。ただ、私は、植物というか、動物というか全般が好きで、普通の人に比べたらかなり観察している部類に入る。さすがにプロ(農家)ほどではないが。まあ、そのくらいに植物に「関心」を持っている人にすれば、「ああ、そうか、植物の身としてみればそうゆうことだったんだ」と納得できる話が多い。だから面白い。

 

植物の「知性」は定義次第

それで、そのように思わせる「植物の知性」の定義であるけれど、この本では、「知性」を「生き抜くための問題解決能力」と定義しているのだ。この定義はある意味では人間一般、動物一般に通じることである。この「知性」の定義のもと、人間と植物を比べたら、植物のほうが「知性」があるのではないかとすら思う。つまり、人間の知性は、ご存知の通り、武器などの自己破壊、略奪、搾取、贅沢、奢侈といったおおよそ「生き抜くため」とは正反対の方向に向かうからだ。

この本では、こういった「知性の逆転」、または「(人間の認識している)知性の見直し」が裏主題になっている。だから、この観点から関心を持ってこの本を読むことができれば、相当にいろいろな意味で面白いし、考えるキッカケにもなるだろう。

 

植物はよく考えると不思議

この裏主題を伝えるために、この本ではまず、植物が特に西洋において石などと同等の「命を持たないもの」として扱われてきた歴史が述べられている。ただ、植物も生物であると普通に認識している東洋人からすれば「いやそこまで貶めなくてもいいだろ」というくらいの筆調で、笑ってしまう部分もある。

次には動物との違いが詳細に述べられ、動かないこと、モジュール構造であることなど、当たり前と言えば当たり前だけど、改めて細かく言われると再発見としか言えないことが書かれている。ちなみに、モジュール構造とは、動物のように器官がかたまりになっていないことで、人は頭を切られたらそれで終わりだけど、植物は花を切られても死なない構造ということである。

 

植物は競争しないがコミュニケーションはする

こうして、この本の一番の見どころでもある、植物が、人間よりはるかに過敏な「感覚器官」などを使って、「生き抜くための」驚くべき「問題解決能力」を発揮している具体例が次々と述べられていく。また、人間の「知性」に近い、「コミュニケーション」も行っている事例が述べられる。ただし、植物のコミュニケーションは、人間のような言葉でのやり取りとは当然に違う。

印象に残っている具体例としては、同じ面積の苗床に、同じ種類の雑草を20株植えると、この20株は均等に育つらしい。田んぼを思い浮かべていただけば分かる。というのも、どれか一つの株があまりにも大きくなって他のを枯らしてしまうより、均等に育つことによって、より多くの種子を残すことができるからだ。つまり、植物は「仲間内で競争しない」のだ。一方で、別の種類のを20株植えると、植物は「競争して自分が一番になろうとする」。この競争するしないを分かつには、絶対に「植物間、株同士での意思伝達」が必要である。つまり、植物はコミュニケーションを何らかの方法で取っていることになる。こういった、植物に関する「当たり前だけど、よく考えると不思議なこと」が、この本にはたくさん書かれている。最初にも述べたように、植物に関心を持っている人にとっては、かなり興味深く、また面白い本である。

 

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