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平田 圭吾のページ

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翻訳本 司馬法 少しずつ紹介3 「戦の五徳」

武経七書

《戦の五徳》

 

◆書き下し文◆

故(ゆえ)に、仁は親しまれ、義は説(よろこ)ばれ、智は恃(たの)まれ、勇は方とされ、信は信ぜらる。(仁は親に見(あら)われ、義は説に見われ、智は恃に見われ、勇は方に見われ、信は信に見わる。)

 

◆現代語訳◆

 仁の徳が己にあれば親しまれ、義の行いは受け入れられ、智の懐(ふところ)の深さはあてにされ、勇の進む方向は道標(みちしるべ)となり、言動に裏表のない信の人柄は信じられる。(仁の徳は人との親しみ方に現れ、義の徳は問題を説(と)いて解決することに現れ、智の徳は自分をあてにする自信として現れ、勇の徳は己の進む方向に現れ、信の徳は裏表のない信の言動に現れる。)

 

◆解説◆

 多くの人は、ここに書かれていることを「力や技術と関係ない徳が戦いに必要なのか?」と疑われるかもしれない。しかし、軍の構成員である味方も、軍の戦う相手も、同じく全て人なのである。

 徳とは、そもそも、人全てに対して自分を納得させるものである。徳がある人にこそ、人は感服するのである。ならば、戦いが自分を押し通すための手段である以上は、戦いにも徳が必要なのである。だから、戦う理由の次にこの徳のことが書かれている。

 さて、書き下し文に(括弧)で別の読み方を示した。つまり、原文では、「仁見親、義見説、智見恃、勇見方、信見信」とある。「見」は現代日本と同じ用法である「何かが視界に入る、何かを見る」という用法の他に、「見えるようになる、現れる」、「何かされる(という受け身を表す用法)」の三つがある。

 また、「説」は、現代では「説明」という用法が最も一般的であるが、「説」単体での意味は「解く、解決する、ほつれた糸をときほぐす」である。故に、ものごとの本質を明らかにし、ときほぐして伝えることを、「説明」と言い、疑問や問題が解きほぐれれば心中は穏やかとなるから、「説(よろこ)ぶ」と読むのである。

 

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