翻訳本 司馬法 少しずつ紹介4 「人を愛して戦を忘れず」
《民を愛す》
◆書き下し文◆
内に愛を得るは、守る所以(ゆえん)なり。外に威を得るは、戦う所以なり。
戦の道、時を違わず、民の病を歴(へ)ざるは、吾が民を愛する所以なり。喪(も)を加えず、凶に因(よ)らざるは、夫(そ)れ其(そ)の民を愛する所以なり。冬夏(とうか)に師(いくさ)を興(おこ)さざるは、民を兼愛する所以なり。
◆現代語訳◆
内に愛があるから守るのである。外に国威を示すために戦うのである。
戦いで拠(よ)り所とする道が、時期に違うことなく、民が病とならないようにするのは、我が国民を愛しているからである。死者の弔(とむら)いを多くしないようにし、不吉なことに関わらないようにするのは、これ、その国の民衆を愛しているからである。冬と夏に軍隊を編成しないのは、(自国と敵国、双方の)民衆を兼ね愛しているからである。
《戦は好まず忘れず》
◆書き下し文◆
故(ゆえ)に、国は大といえども、戦を好めば必ず亡ぶ。天下は安しといえども、戦を忘るれば必ず危うし。
天下既(すで)に平らかにして、天子は大いに愷(やわ)らぐも、春に蒐(あつ)め秋に獮(かり)し、諸侯は春に振旅(しんりょ)し秋に兵を治むるは、戦を忘れざる所以(ゆえん)なり。
◆現代語訳◆
たとえ大国であっても、戦を好んで戦争ばかりしていれば必ず亡んでしまうこととなる。たとえ天下に争いがなく安泰であったとしても、戦のことを忘れてしまえば必ず危ない目に遇うことになる。
天下が既に平定され、天子が大いに和(やわ)らぎ楽しんでいても、春に諸侯の兵を招集して秋には軍を伴って狩りに出て、諸侯は春に凱旋(がいせん)して秋に兵を整えるのは、戦のことを忘れていないからである。
◆解説◆
『易経・繋辞下伝』には、「危ぶむ者は平らかならしめ、易(あなど)る者は傾かしむ。その道甚(はなは)だ大にして百物廃(すた)れず。懼(おそ)れてもって終始すればその要(かなめ)は咎(とが)なし。これをこれ易の道と謂うなり。(危ぶめば平らか、あなどれば傾く、道が大なら廃れず、初めから終わりまで気を抜かないで、恐れ慎むなら失敗はない。これこそ易の道なのだ。)」とある。天下が安平であっても兵事を忘れないとは、まさにこのことである。
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