平田 圭吾のページ

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『尉繚子:兵法武経七書』の紹介

KindleもしくはGoogle Play Booksを読む環境のある方は、写真下のリンクよりご購入いただき、是非ともご一読ください。


こちらの『尉繚子』は、日本でも『兵法武経七書』の一として古くから親しまれている兵法書です。

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おおまかな内容

尉繚子』の特色としては、まず、現代日本に言う所の「経済」を重視した記述が多いことがあります。なかでも、当時は未発達で、あまり重きを置かれていなかったと思われる「貨幣を伴った経済」を直接国力や戦力に結びつける記述もあり、この点に関しては、他の武経七書と一線を画していると言えます。これに伴う形で、天下国家に関する記述はわりと多くなっております。
また、よく聞く評価として「厳しすぎる刑罰」がありますが、これは「有無を言わさぬ死刑」によって軍紀を正すための組織論です。
 

目次と構成

この『尉繚子』は、もともと二十四の篇から構成されています。
それぞれ篇の分量に違いはありますが、これをそのまま目次に反映しました。
ただし、読者様の便のため、適当なところで本文を区切り、書き下し文と現代語訳を交互に記しています。
本来なら一連のものを区切っておりますので、その点ご了承ください。

 

以下目次

天官第一
兵談第二
制談第三
戦威第四
攻権第五
守権第六
十二陵第七
武議第八
将理第九
原官第十
治本第十一
戦権第十二
重刑令第十三
伍制令第十四
分塞令第十五
束伍令第十六
経卒令第十七
勒卒令第十八
将令第十九
踵軍令第二十
兵教上第二十一
兵教下第二十二
兵令上第二十三
兵令下第二十四

 

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『曹操言志:史書から紐解く人間曹操』の紹介

いわゆる「正史」「史実」と言われる三国志をもとに、人間としての曹操の人生を追う内容となっております。「正史」「史実」の三国志は初めてだし、「正史」「史実」の三国志がそもそも何なのか分からないという方にも読みやすくなるように、解説を織り交ぜてあります。

既刊の曹操詩集 Kindle版と合わせて読んでいただくことで、「人間曹操」により魅力を感じていただけます。

販売はアマゾンのKindle版のみ、定価は税込み760円(KindleUnlimited及びKindleオーナーライブラリーなら無料)となっております。

 

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決して完全無欠な英雄ではない、ましてや冷徹な悪役でもない人間としての曹操
史書」という記録から読み取れる本来の「人間曹操」は、お茶目でかわいらしく、むしろ繊細で弱さを内包した悩める存在。
そんな人間らしい曹操の魅力を知っていただくため、正史における曹操の最低限の事績を記述しつつも、曹操の人間らしさが分かる記録を集めました。
正史三国志は初めてという方にも分かりやすくなるように、「三国志」理解につながる解説も織り交ぜてあります。
また、巻末には、武帝誄、弔魏武帝文など邦訳があまり流布していない文書も収録しました。 

    

 

以下目次

 

第一部 乱世の熱血漢

一五五年(永寿元年)出生から黄巾討伐
◆出生と少年時代
曹操も子供のころは「あまんちゃん」
◆辣腕の青年官吏
◆初陣~隠遁生活

一八九年(中平六年)董卓による政変と洛陽からの脱出
◆宦官粛清を非難
◇妻卞氏の活躍
劉備と一緒だった?
◇地名は「州」単位でイメージすると分かりやすい
◇役職と影響力

一九〇年(初平元年)反董卓連合
◆決起と反董卓連合
◆反董卓連合の末路


第二部 奸雄の根城

一九一年(初平二年)兗州平定と献帝の保護 
◆黒山の反乱軍を平定し割拠
青州黄巾賊を平定
陳宮の叛逆と兗州攻防戦
◇程昱に弱気をたしなめられる

一九六年(建安元年)献帝の保護
献帝を迎え入れる
曹操の思い出では呂布に圧勝

一九七年(建安二年)宛城の戦い 
張繍との戦い
◇敗戦で失ったもの

一九八年(建安三年)下邳の戦いと劉備の裏切り
◆下邳の戦い
関羽の思い人を横取りする
袁術の死と劉備の裏切り
劉備にうっかり……


第三部 曹袁二虎

二〇〇年(建安五年)官渡の戦い
袁紹との決戦
◇叛乱が起き危機一髪のところを許褚に救われる
◇陳琳の檄文

二〇四年(建安九年)鄴城の戦い
官渡の戦いの後
◇鄴城の痛快事

二〇七年(建安十二年)白狼山の戦い
◇あまりの嬉しさに
◇邴原の話
◇大きな功績のあった田疇
◇逸材だった高柔


第四部 南方の墜龍

二〇九年(建安十四年)赤壁の戦い
赤壁の戦いという大敗北
◇愛息子曹沖の死
華佗の処刑と健康問題
荊州の名士を得る
劉備と劉琦

二一〇年(建安十五年)求賢令の発布
◇求賢令
曹操の解決法 東曹と西曹
曹操の解決法 陳矯の話

二一一年(建安十六年)潼関の戦い
◆潼関の戦い
◇西方郷人らによる馬超放逐劇

二一二年(建安十七年)濡須口の戦いと魏公就任
◆濡須口の戦い
◇荀彧逝く
◆魏公就任と魏建国


第五部 寒風と春日

二一五年(建安二十年)張魯討伐
張魯討伐
◇陽平関の戦い――険しかった漢中への道のり
◇迷子の曹操軍が幸運で勝利する
張魯の降伏と漢中平定
◇蜀親征への意欲
◇気骨漢の劉曄
◇二度目の劉雄鳴
◇成公英にフラれて感動

二一六年(建安二十一年)魏王就任
◆魏王就任と後継者問題
◇王必の奮闘

二一九年(建安二十四年)定軍山の戦い
◆定軍山の戦い
◇楊脩の処刑を手紙でフォロー
◇息子自慢 黄髭よ

二一九年(建安二十四年)樊城の戦い
◆樊城の戦い
曹仁を自ら助けに行こうとする
夏侯惇に特別な親愛の情を示す

二二〇年(建安二十五年)洛陽に死す
関羽の首
◇遺令 穏やかな春の日

三国志という歴史書の解説
◇中国の歴史書編年体紀伝体
三国志という書物の歴史
陳寿三国志は本当に「実録」なのか

付録・武帝紀に収録されていない曹操著の文書(邦訳文)
選挙令
明罰令
追称丁幼陽令
内戒令
鼓吹令
軍策令
軍令
船戦令
歩戦令
四時食制

参考資料 曹操に深く関係があるが曹操が書いたのではない文章(邦訳文)
曹植著「武帝誄」
曹植著「請祭先王表」
陸機著「弔魏武帝文」

 

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『学問のすすめ』現代語訳14 個人としては立派な人物なのに、組織になると愚者になる

四編2 一国の文明は独り政府の力をもって進むべきものに非ず

 最近の我が国の状況を察して、外国に劣っていると思われるものは、学術、商売、法律である。世界の文明は専らこの三者に関するもので、この三者が備わっていないようでは、国が独立の地位を得ていないことは識者でなくても分かることだ。しかし、現在わが国ではこのうちの一つも形すらできていない。

 

 政府が一新してから、政府の人間が力を尽くしていないというわけでもないし、その才力が稚拙であるというわけでもないのだけど、事を行おうとするのにどうしようもない原因があって思うようにいかないことが多い。その原因こそが国民の無智文盲、すなわちこれである。

 政府は既にこの原因を知って、しきりに学術を勧めて法律を議論し、商売のやり方を示すなど、あるいは人民に論説したりまたは自ら先例を示して、やれる限りのことをやってはいるのだけど、今日になってもいまだ実際の効果が現れず、政府は依然として専制の政府であり、人民は相変わらず無気力な愚民ばかりだ。

 そうとは言っても、少しは進歩したようなこともあるけれど、これに用いている力と費やすところの金とに比べてみると、その結果が伴っていないのが目に見えてわかるのはどうしてだろうか。それは、一国の文明が、政府の独力のみではなんとも進まないからである。

 

 このように言う人もあるかもしれない。政府はしばらくの間だけ、この愚民を制御するのに一時の術策を用いて、その智徳が進むのを待ってから、その後に国民自身が自ら文明の域に入るらせるようにすればいいのだと。この説は言うことはできるけれども行うことはできない。

 われらが日本全国の人民は、数千百年専制政治に苦しめられて、人々はその心に思うところのことを表に出すこともできなかった。欺いては安全を貪り、偽っては罪を逃れ、欺詐術策は人生必携の備えとなり、不誠不実は日常の習慣となり、これを恥だと思う者もなくこれが正しくないのではないかと疑う者もなく、一身の廉恥心は既に地上から消え尽きてしまった。このように、自分の身の恥の事すら忘れているのに、どうして国のことを考えるような余裕があるだろうか。

 そして、政府はこの悪い弊害をなんとかしようとしてますます威勢を張って、人民をおどしたり叱ったりして、無理に誠実にしようとし、かえってますます不信に導き、その状況はあたかも火で火を消そうとするような状況になっている。こうして遂には上下の間に大きな隔たりができてしまって、一種無形の気風と言うべきものができている。その気風はいわゆる「spirit(精神、魂)」であって、簡単にこれを動かすこともできない。

 最近になって政府の形は大きく改まったのであるけれども、以前からの専制抑圧の気風は今なお残っている。人民も権利をやや得たようではあるけれども、その卑屈不信の気風は依然として昔と何も変わっていない。

 この気風は無形無体で、簡単に一個人のこんな場面だと示すことはできないけれども、この気風の実力は相当に強いもので、世間全体のことがらに顕われていることを見れば、明らかにそれが空虚なものでないことを知ることができる。

 試みに、その一例を挙げてみよう。現在の政府には人物が少ないというわけではない。個人的にその人たちの言葉や行いを評価するに、ほとんど皆が判断力、行動力共に優れた知見も広い士君子であり、私はこれを非難することができないばかりか、その言行は慕うべきものでさえある。また別の方向から言えば、平民と言っても全て皆が皆、無気無力の愚民ばかりというわけでなく、万に一人は公明誠実の良民というべき人もいる。

 そうであるけれど、この士君子、政府にて政治を取り行うとなると、そのやり方は私にとってあまり感心できないものがとても多くて、また先の良民も、政府に接するとたちまちにその節操を屈してしまって、欺詐術策でもって政府の役人を欺き、そのことを恥じているような者はない。

 この士君子にしてこの政治を行い、この良民にしてこの卑怯な行いに出るのはどうしてだろうか。あたかも、一つの体に頭が二つあるかのようである。つまり、個人的な立場では智者と言えるのに、政府の一員となると愚者としか思えない。また、個々人として散開すると物事に明るいのに、集めると物事に暗くなる。政府というものとは智者が集まって、一人の愚かな人と同じ行いをするようなところと言える。どうして怪しまないでいられようか。

 つまるところ、こうなってしまう理由は、かの気風なるものに制せられてしまって、人々が自ずから一個人の考えを実行に移すことができないからではないか。明治維新以来、政府は、学術、法律、商売などを活発にしようとしているのに大した功績がないのも、その病の原因は恐らくここに在るであろう。

 こうして考えてみると、今一時の術を使ってその下民をうまく操り、その智徳が進むのを待つということは、威勢でもって人を文明に強いるようなことであるか、そうでなければ、欺いて善に帰そうという術策のどちらかということになる。

 政府が威勢を使えば人民も偽りでこれに応じて、政府が欺くやり方を使えば自民は表向きだけこれに従うようになる。これはとても上策と言うべきものではない。たとえその策がいくら巧みであっても、文明の事実に関しては益がないのは当然である。だから、世の文明を進めるためには、ただ政府の力のみに頼ってはならないのだ。

 

【解説】個人としては立派な人物なのに、組織になると愚者になる

 ここで福沢が言っていることは、「学術・商売・法律の発展は、政府のみの主導ではありえない。民間で問題意識が高まるような独立の気風が必要だ」ということになる。ここに言われていることは現代の感覚からすればピンと来ない。だが、それもそのはずで、ここで福沢が言っていることが、現代では自然に起きているからピンとこないのだ。

 というのも、政府が何らかの法律や方針を打ち出す際、その前にはほぼ必ず民間で問題意識が高まる時期がある。例えば、ヘイトスピーチ規制法であるが、SNSで差別発言による攻撃が激化し、かなり問題意識が高まることがあった。政府はこれに対応する形でヘイトスピーチ規制法を施行したに過ぎない。また、ハラスメント規制法もそうであるし、高齢者の運転免許の自主返納に関する法整備についても同じことが言える。商売、ビジネスのことは言うまでもなく、民間企業が新たな商売を次々と生み出している。

 ここで福沢が言うようなことは、現代ではクリアできているのだ。だからこそ、読んでもなにかピンと来ない。私自身、批判的なことを解説しなければ進歩はない、というような思い込みがあるために、現代の問題点を批判し、解決するような解説に徹してきた。しかし、ここは、明治初期と比べて日本に独立の気風が備わっていることを素直に喜びたい。

 ただ、途中に、「個人としては立派な人物なのに、組織になると愚者になる」という記述があった。この問題については、のちに心理学が発展したこと、ナチスドイツという失敗からの反省により、その仕組みが明らかとなっているので、この点については解説したい。

 まず、ナチスの失敗のうちでも最も有名なものは、ユダヤ人の大虐殺であり、悲劇の記憶アウシュビッツと言えよう。このアウシュビッツの総司令はアイヒマンという人であったが、このアイヒマンガス室での虐殺命令を出していた張本人であるにも関わらず、アウシュビッツに近づくことを異常なまでに嫌い、中から聞こえてくる悲鳴にもいちいち心を痛めていたということらしい。これは一般的な見解からすれば疑問の残ることだ。総司令が喜び勇んで虐殺を行っていたのではないかと。

 しかし、事実そうであるという記録が至る所に残っているのである。では、なぜそうなったのか。簡単に言ってしまえば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということであったのだ。

 後に、「アイヒマン実験」という心理学実験が行われ、人は、権威付けされた上で「やっていい」と言われると、どんな悪事でもやってしまうことが明らかとなった。まさに、「個人としては立派な人物なのに、組織になると愚者になる」という良い事例だ。詳しくはここには書ききれないので、推薦書として社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)を紹介する。多岐にわたる社会と個人心理の関係、ここに福沢の言う「気風」の仕組みが、実にわかりやすく、また興味深く書かれている大変な良著である。とにかく面白いのでぜひとも手に取っていただきたい。

 

 

 記事はここまでです。

 

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