平田 圭吾のページ

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『学問のすすめ』現代語訳8 無学文盲の馬鹿者がマスコミをマスゴミにする

 二編4 人を取り扱うにはその相手次第にて

 このような悪い風習(幕府に盲目的に従い、幕府の当たり前の役割を「御恩」とありがたがる風習)ができた理由を考えてみる。すると、その根本は、人間は同等であるという大事な基本を見誤って、貧富強弱と言った有様を悪い道具に使い、政府や富強という勢いで、貧弱な人民の権利通義を妨げていることにあるとわかる。 
 だから、人は、常に同位同等であるという基本的なことを忘れてはならない。これは人間の世界で最も大切なことだ。英語ではこれを「reciprocity(相互利益)」または「equality(同等、平等)」と言う。すなわち、初編のはじめで言った万人同じ位とはことことである。

 

 今まで述べてきたことは、百姓町人に一方的に味方して、思うがままに勢いを張れというような議論であるけれど、また一方から言えば、別に論ずべきことがある。と言うのも、おおよそ人を取り扱うには、その相手の人物次第であって、自ずからその相手に応じた加減というものがあるからだ。

 元来、人民と政府との間柄は、もと同一のものであるが、職分だけは区別されていて、政府は人民の代理として法を施し、人民は必ずこの法を守らなければならないと、固く約束をしているはすである。

 例えば今、日本国中で明治の年号を認めている人は、今の政府の法に従うおうと条約を結んでいる国民だ。だから一度国法と定められたことが、もし仮に、ある国民一人にとって不便であったとしても、これを改革するということまでには至らない。小心翼翼謹んで法を守らなければならない。これが即ち国民の職分である。

 そうであるのに、無学文盲、理非の理の字も知らず、身についている芸当と言えば、食うことと寝ること起きることだけで、そのように無学であるのに欲は深く、目の前の人を欺いては巧みに政府の法を逃れ、国法の何ものたるかをも知らず、自分の職分と言うものすら知らず、子は産むけれどもその子を教える道をも知らず、いわゆる恥も法も知らない馬鹿者で、その子孫が繁栄すると国益となるどころか、かえって害をなすような人もいないことはない。

 このような馬鹿者を取り扱うのに、とても道理で説得するということはできない。不本意ではあるけれども力を使って脅し、ひと時の大きな害を鎮めるより、他に手だてがないのだ。これがすなわち暴政府というものが世間にある理由である。これは日本の旧幕府だけでなくて、アジア諸国において古来から皆そうなっている。

 ということは、一国の暴政府は、必ずしも暴君や暴吏(ひどい役人)によるものではなく、実は人民の無智でもって自ら招いている禍(わざわい)であるのだ。たとえば、他人にけしかけられて暗殺を企てる者もあり、新しい法を誤解して一揆をする者もあり、強訴(自分の訴えは正しいが受け入れられないとして徒党を組んで暴力に訴えること)であると言って金持ちの家に押し入り、酒を飲んで金を盗む者もいる。こういった行動はとても人間の所業とは思われない。

 このような賊民を取り扱うには、釈迦や孔子といえども名案がないのは必定、是非とも厳しい政治を行おうということになる。だからこのように言う、人民がもしも暴政を避けようと思うのならば、すみやかに学問に志して自分の才徳を高くし、政府と相対して同位同等の地位に登らなければならないと。これがすなわち、わたしの勧めている学問の要点である。
(明治六年十一月出版) 

 

【解説】無学文盲の馬鹿者がマスコミをマスゴミにする

 最近、ネットが普及したことにより、主にテレビというマスメディアに報道されない事実が明るみとなることが増えてきた。また、そういった事実が明るみになるたびに、「マスコミは政府の手先のマスゴミだ」だの「マスゴミは権力で操られており都合の悪い報道をしない」だの、いわゆる「マスコミが悪いから全てが悪い論」を主張する人も現れるようになってきた。

 しかし、その「マスコミが悪いから全てが悪い論」は、少し違うということは指摘しておきたい。そもそも、ツイッターにおいて、政治に関するツイートがよくバズった(爆発的に拡散された)としても、リツイート、イイネともに10000程度である。一方で、まったく意味がわからない、日本語としての文法もおかしい、本当に意味が分からないとしか思えないような、なんとなくの写真付きツイートがバズると、余裕で40000程度のリツイートやイイネがつくのだ。また、こういった意味の分からないツイートがバズる確率も非常に高い。政治的ツイートが10ツイートバズる間に、その手のツイートは100ツイートはバズっているだろう。この事実が指し示す事実とは、国民の大半、もちろんネット民の大半も「そもそも政治的なことに関心を持っていない」ということに他ならない。

 ところで、マスメディアとは、人が一人でも多く関心を示し、人が一人でも多く集まるような報道をするところだろうか、あるいは、人が関心を示さず閑古鳥が鳴くような報道をするところだろうか。また、マスメディアの運営主体は、どちらの報道をしたときに、視聴者や読者が満足すると考えるのだろうか。

 答えは出ている。マスメディアは、視聴者を満足させ、一人でも多くの人を集め、こうして本来の目的である「売上」や「広告収入」を増やそうとしているのだ。このような状況下において、「明るみに出ない事実」とは、ただ単に国民の大半にとって「関心を持たれることがなさそうな事実」でしかないということになる。だから、マスコミに報道されることは、国民の多くが関心を持つことであり、報道しないことは一部の人しか関心を持たないことということになる。ならば、マスコミの報道内容は、あくまでも視聴者や読者次第となる。だから言うのだ。無学文盲の馬鹿者がマスコミをマスゴミにすると。

 すると、ここで福沢が言うように、こういった無学文盲の輩には、暴政府の力が必要となってしまう。しかしもちろん、現代における暴政府の用いる力は、直接的な暴力や、旧幕府のようなあからさまな理不尽ではない。カエルをぬるま湯につけ、蛇が獲物を生殺しするかのような陰険な搾取であり、その力が及ぶのは現在でなく未来となる。気づくのも遅れて、その処方は手遅れとしかならない暴政府の陰険にして絶大な力、実に恐るべきものである。無学文盲の罪は未来に及ぶのだ。

 さて、ここで話題にした「マスゴミ」であるが、その実態やシェアを事細かに記した良著がある。出版しているのは、権力の手先として有名なNHKであるが、内容は正しく有益なものであると私が保証する。上にも述べてきたように、いかな「マスゴミ」といえども、需要があり採算の取れる所には、事実を包み隠さず報道するのだ。(表紙に「変化の実相を~~」と赤字のあるほうが新版のようだが、私が目を通したのは旧版)

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