曹操の口癖は「也」? 魏武帝注孫子の翻訳に当たって1
上の記事に書きましたように、魏武帝注孫子の翻訳をしているのですが、その過程で思ったことがあります。
それは、曹操の筆に、「也(なり)」が多いということです。
「也」は断定を表す助動詞です。助動詞なので、翻訳でそのニュアンスを出すことは難しいのですが、まあ、とにかく言い切る感じと思ってもらえば間違いではないでしょう。
しかも、本来なら付けなくていい助動詞なので、これがあると、「こうなのだ」とはっきり言っている印象が強くなる助動詞とも言えます。
これを日本語に例えてみると、「それはやり過ぎだね」と言うところを、「それはやり過ぎだぞ」、または、無理にニュアンスを出せば、
「それはやり過ぎだと言っておろうが!」
「それはやり過ぎで間違いないのじゃ!」
という感じでしょうか。
これに対して『孫子』本編には、「也」ももちろんあるのですが、「矣」が使われています。「矣」も断定の助動詞なのですが、推定で不確かというニュアンスが、少しだけ含まれています。
翻訳していると、『孫子』本編で「矣」が使われているのに、『孫子』に注釈をつけているはずの曹操が、「矣」などは使わず、どんどん「也」で言い切ってしまう。という印象を受けます。
これは、曹操の性格なんでしょうかね (^_^;)
あるいは、経験から来る間違いないものなのでしょうか。
ただいま電子書籍として販売中の「魏武帝注孫子」:兵法武経七書では、「也」がある場合だけ、書き下し文に「なり」と表記するようにしています。このことに注意して書き下し文を読んでいただくと、少し楽しみが増えるかと思います。
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